マカ坊

はちどりのマカ坊のレビュー・感想・評価

はちどり(2018年製作の映画)
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「世の中はこういう仕組みなんだからお前は黙って従え」という棒で殴られ続けると、血は出なくとも心と背骨は歪む。

1994年の韓国で暮らす14歳の少女ウニ。
大文字の「歴史」の中に埋もれかけた小文字の「歴史」を極めて丁寧に掘り起こす。

冒頭、部屋を「間違えた」ウニが階段を登り直し、がらんどうの瞳で見つめ返す母に迎え入れられる。そしてゆっくりとカメラは引き、無個性な集合住宅の無数のドアが映される。

親や社会への不信といったウニが感じる疎外感を驚くような手際で示してみせるこの冒頭シーンだけでもすでに圧巻。

これ以降ドアや窓が特に象徴的に画面に映されるが、その使われ方の妙たるや、アスガー・ファルハディやアンドリュー・ヘイもかくやといった堂々たるもので、本当にもうすでに名監督としての風格が大いに感じられる。

個人的には本当に恵まれたことに家族からの抑圧を一切感じることなく育った男なので、ウニと自分とを重ねて観ることはなかった。

特に「親が親以外の姿を子供に見せる瞬間」というのをほぼ経験したことがない。

経験したことが無いことを「体験」させてくれるのも映画の機能のひとつだが、その点で「必死の呼びかけに応えない母の背中」という映像の恐ろしさは鑑賞後もこびりついている。

「パラサイト」で「重くて役に立たない、しかし捨てられないもの」として印象的に用いられた山水景石。これは韓国社会に居座る家父長制そのもののメタファーだという論考をみたが、はちどりを見終えて改めてこの石は破壊しなければならないと感じた。

そんな抑圧の中で唯一、ひとりの個人として接してくれたヨンジ先生とのやり取りの中でも印象的に捉えられた視線の交わり。

上映時間の割に物語の進行自体はテンポよく進むが、その分じっくりとこの無言で交わす視線のやり取りに時間が割かれる。

相識滿天下 知心能幾人

時代の変わり目の中でわかり合う事の難しさと大切さを知り未来を見据えるラストのウニとスクリーン越しに視線を交わすことは、日々様々な事に不誠実に生きているおっさんには少しこたえた。

必死に羽ばたくはちどり達の為にいきなり扉を開けることが難しいなら、せめて窓くらいは開けていられるような、まずはそんな社会にしなければならない。

まだしばらく星はつけられないなぁーこれは。
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