コロナ禍で1年延期され、ようやく公開(配信)となったMCUフェーズ4のスタートを切る本作。
厳密に言えばディズニー+での「ワンダビジョン」から連なるドラマシリーズが先に配信されてしまったけど、それでも再びマーベル作品を劇場で観られる幸福感は、何物にも代えがたい(冒頭の“MARVEL”オープニング・ロゴはやっぱりテンションあがる!)。
ナターシャの物語についに終止符が打たれる本作のテーマは、彼女が最後までこだわり続けた“ファミリー”への信頼、チームに受け入れられた救い、そして暗殺者時代の昏い過去への贖罪だ。
時系列としては「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」直後のエピソードだけれど、過去の出演作でも言及されていたブダペストでの出来事や、謎に包まれていた出自と幼少期、ロシアの極秘諜報機関での恐るべきスパイ養成、彼女のアイデンティティーに深く関わる“家族”の存在…といった、これまであまり語られて来なかったそれらのエピソードの点と点がつながり、ナターシャの人間性が初めて掘り下げられる驚きと喜び。
「アベンジャーズ/エンドゲーム」で、なぜ彼女は、あの悲劇的な決断に至ったのか。
その意味が痛いほど伝わる描写に、改めて犠牲の大きさを噛みしめることになる。
もちろんアクションも見どころのひとつで、様々な武器やガジェットを使いこなすスマートな身のこなしもさることながら、肉弾戦のリアルな激しさ、ハードな殴り合いなどは観応え抜群だし、カーチェイスにバイクチェイス、果てはスカイダイビングまで、次々と舞台が変わり世界を股にかける活躍は、まるで「ミッション・インポッシブル」のようなタフなシーンの連続で飽きさせない。
これまでのマーベル作品のような壮大な派手さはなくとも、キャラクターにフォーカスしたリアルな人間ドラマと、「キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー」のテイストにも近いスパイアクションが融合した本作だって、過去作にも決して引けを取らない完成度だ。
出演者がほぼ女性で占められ、主要なキャラクターを演じるキャスト陣も素晴らしい。
長年演じ続け、もはやナターシャ・ロマノフそのものとも言える主演・プロデュースも務めたスカーレット・ヨハンソンを始め、「ミッドサマー」「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」での鮮烈な演技も記憶に新しい、妹分エレーナ役のフローレンス・ピュー。
Netflixドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」で正義感あふれるワイルドな警察署長を熱演した父親役アレクセイ(レッド・ガーディアン)のデヴィッド・ハーバー。
「ナイロビの蜂」や「光をくれた人」での複雑な役どころを見事にこなし、近作では「女王陛下のお気に入り」で強く美しい伯爵夫人を演じた母親役メリーナのレイチェル・ワイズ。
三者三様(四者四様?)の個性がぶつかり合い、不思議なケミストリーを醸し出すシュールな可笑しさ。それも“家族あるある”だったりして、それぞれの掛け合いや助け合い、“ヒーローあるある”なツッコミなど、誰もが共感できるシークエンスをさり気なく差し挟む粋の良さはさすが。
ヴィランで登場する、原作コミックで人気(らしい)タスクマスターの、単なるコピーキャットでは終わらない哀しみを背負った人物像や、操り人形のようなウィドウズの洗脳(手術)、激しく痛めつけられるシーンなどは、一貫して虐げられてきた女性を描いてきたケイト・ショートランド監督の信念が際立つ、リアルな描写だ。
レッドルームから抜け出し、何もかも失ったナターシャに生きる意味を見出してくれた仲間の存在。人間の本質的なつながりを信じ、決して見捨てることのない絆と、慈愛の情。
彼女がいなければ、アベンジャーズの再結成もすんなりとはいかなかっただろうし、失われた人々を取り戻すインフィニティ・ストーンを手に入れるための犠牲の大きさは、計り知れない。
本作をもって、長い長いインフィニティ・サーガにようやく幕が下ろされた。
マーベル初の女性ヒーローとして、アベンジャーズの一員として、できればもっと早くに単独作が製作されるべきだったと、つくづく思う。
しなやかでクールな佇まいや行動の裏に隠された、熱い情熱。
痛みを知る、強さとやさしさ。
いつだって、自分より愛する人々を思いやってきた彼女の最後の姿は、私たちの記憶にいつまでも刻み込まれるに違いない。