カツマ

燃ゆる女の肖像のカツマのレビュー・感想・評価

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
4.0
響くのは無音の竪琴。静寂の中に沈むそれは絵画のように心音を鳴らす。迫り来る鼓動の調べ、愛という名の感情はただ風景の残像となって虚空を舞った。時は鬱ろう、世は耽る。それはそう、美しい記憶の中で生きていた刹那の情念。二度と来ない永遠の肖像だった。

カンヌ国際映画祭脚本賞など数多くの賞を受賞し、全世界的に非常に高い評価を得た作品である。LGBT映画は昨今珍しくはなくなったが、いよいよその王道となるべく作品が現れたという騒がれ方をしたのも特徴的で、かつての女性の立場を現代的な目線で風刺した点でも見事な脚本である。ただ、全体的にアート映画の色が濃く、エンタメ性はかなり薄い。そういう意味でも非常に伝統的な映画手法であり、評論すればするほどに深掘りできる作品とも言えそうである。二人の女性の燃え上がる欲望の果てはどこへ向かうのか?強烈なラストシーンがいつまでも胸を打つ。

〜あらすじ〜

1770年、画家のマリアンヌは伯爵令嬢の肖像画を描くため、ブルターニュ地方の島へと降り立った。館には女中のソフィがおり、道中で水浸しになったマリアンヌを暖炉の炎で温め、少しの会話を残していった。
マリアンヌが描く令嬢はエロイーズといい、自殺した姉に代わって、ミラノの貴族のもとへと嫁ぐ予定となっていた。それはエロイーズにとっては望まない結婚。彼女は描かれることを好まず、マリアンヌの前任の画家はエロイーズの顔を捉えることすら出来なかった。そこでエロイーズの母はマリアンヌに画家であることを伏せ、友人として話を聞きながら、エロイーズの顔を観察してほしいという難題を与えた。実際、エロイーズは顔を合わせても笑顔を見せることがなく、マリアンヌはなかなか彼女の顔を描くことが出来ずにいた。それでもギクシャクした間柄を通り過ぎ、徐々に打ち解けていく二人。やがて自画像は完成するも、二人の間には友情とはまた異なる感情が芽生え始めていて・・。

〜見どころと感想〜

正にアート。全てのカットが絵画のような構図を持ち、芸術品のようにそこに横たわっている。展開は非常に遅く、2時間が長く感じられるほどには物語の進みは鈍い。それは二人の距離が近づく過程としての体感。なかなか近づかない距離を長時間を使って描いている、と考えればそれすらも脚本の一部であるように思える。メッセージとしてLGBT映画の王道。しがらみと格差社会が描く闇が、結果として性への不自由さを強調するような作り。それこそがこの映画、最大の命題なのは間違いないだろう。

主演のノエミ・メルランは『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』に出演して以降、フランス映画で観るようになった役者で、最近では『パリ16区』へも出演している。そして、エロイーズ役のアデル・エネルは30代半ばにしてすでに実績は十分。『BPM』『ブルーム・オブ・イエスタデイ』『午後8時の訪問者』など、毎年のように話題作に出演している。やはり演技面ではアデル・エネルの貢献度がかなり高く、彼女の押さえた演技が終盤のシーンにパンチを効かせてくるあたりもさすが。ほぼ2人芝居だが、ソフィ役のルアナ・バイラミも『スクールズ・アウト』での長編デビュー以降、順調にキャリアを重ねていることを確認することができた。

愛し合っているのに終わりが見えている儚さ、切なさ。乗り越えることができない壁を前に、どこか諦念にも似たものがこの映画を侵食している。それこそが、恐らくセリーヌ・シアマが描きたかった閉塞感だったのではなかろうか。決して楽しい映画ではないが、ジワジワと波が寄せてきては、いつもの間にか沈んでいるような感覚。今の時代に浮き上がらせたいものがあるからこそ、二人の恋は物語として描くに適しているし、この絵画的な世界の中でいつまでも美しく躍動していた。

〜あとがき〜

映画館で見たかった話題作が配信に来ていたのでようやくの鑑賞となりました。ただ、やはりというかこの手のアート系の映画は劇場で観るべきだったな、と反省しています。大画面だからこそ映える画がある。それは配信では伝わりづらいスケールだったように思いますね。

ラストのインパクトまで少し、また少しと歩を進めていくような作品なので忍耐は求められるでしょう。これぞ正にフランス映画、ヨーロッパ映画の質感。燃ゆる女の姿が網膜に浮かんでは消える、透明な感情が激しく燃え上がるような、静かに激しい作品でした。
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