優しいアロエ

バクラウ 地図から消された村の優しいアロエのレビュー・感想・評価

4.3
〈近代化の裏で逞しく光る自治市民の尊厳と野性〉

 ブラジル最果ての村でPUBGする映画が7/14に北米で円盤化したと聴きつけ、飛び込んだ。2019年のカンヌ審査員賞をラジ・リ『レ・ミゼラブル』と分けあった作品だ。
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 Bacurau(バクラウ)は、伝統的な生活体系と文明的な利便性が混ざりあった面妖な村である。世俗から乖離した小さな村だが、先進的な機器や技術を持ち出してはこちらを驚かせる。しかしその内側には、古来から守られてきた自治性への誇りと原始的な野蛮さをたしかに隠し持っていた。

 自治意識は強いのに外部的な要素に依存してしまっている事実には抵抗を示さないのが彼らの面白いところだろう。水道や電気、通信機器、薬品、銃火器と、近代化の恩恵はありがたく吸収する。ケニアの原住民が遠方の仲間とのコンタクトにスマホを用いるようになった事例もあるから、これは珍しいことではないのかもしれない。また、“その土地”に固執する人間が近代化の波に晒されるというのは前作『アクエリアス』と共通のテーマといえるだろう(未鑑賞だが前々作『Neighboring Sounds』も同様らしい)。

 ここからは邪推タイムになるが、バクラウの人々は人種の分類が多様であり、棲息範囲や人口も極端に小さいことから、伝統民族の類というより、案外最近この地域に逃れてきたヒッピーやアーミッシュの亜種のようなものにも思えた。

 後半訪れるドンパチな展開は、西部劇のフォーマットを借用しているとの指摘を目にして腑に落ちた。人々が家々にこもって息を潜めたバクラウは西部劇のゴーストタウンさながらであるし、銃を撃つ者を荒いズームインで魅せていく撮影もカッコいい。そして「眼」の代わりに本作がアップで捉えるのはバクラウ人の「口」であり、ランブルボールのようなものをかじることでスピリチュアルなエナジーを取り入れる。
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 ただ、薄汚れた政治家やアメリカからの魔の手といったモチーフにはあまりピンとこなかったので、南米の現代社会への知見を意外にも要する作品だと感じた。ウド・キアが仲間を殺したのはなぜ?
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