Masato

いつかはマイ・ベイビーのMasatoのレビュー・感想・評価

いつかはマイ・ベイビー(2019年製作の映画)
4.0

映画界の金正恩ことランドールパクが主演なので鑑賞

2018年からの恋愛映画または映画内の男女関係の要素は割と一貫していることが多かった。それは、男性は過去に固執して、離れようとしない。対して、女性は前を向いて先に進もうとする。保守的と革新的と言うのだろうか。アリー スター誕生や、シュガーラッシュオンラインにおけるラルフとフェリックスなどが共通していた。ネトフリのマリッジストーリーでも、チャーリーは仲が良かった過去に戻ろうとするが、ニコールは先へとどんどん進む。暇さえあればもう元の場所にはいないってくらいに。

社会的性差や生物学的性差などの関係もあって、一概に言えることはないし、悪気を持ってステレオタイプにしているというわけではなく、わかりやすくするために類型化しているという意味で理解してほしいが、やはり男性と女性では思考の回路が異なってくると思う。それが、本作では顕著に出ている。

恋仲になった幼馴染と別れ、そして大人になって再会したという物語で、マーカスは依然として実家に暮らして代わり映えのない日常を送っている。対して、サシャは有名な料理家になり、レストランを経営するまでになっている。ここで、やはり男女の違いがある。「アリー スター誕生」では、ジャクソンは古いカントリーを歌い続けるが、アリーはポップ路線やエレクトロ路線に進出して先に先にと進みだす。そこで生まれる溝が夫婦仲と精神を蝕んでいくような話であった。「アリー〜」がそうした男女の永遠の違いを現実に苦く描いたものであるとするのならば、本作は寓話的で、かつ優しく笑いに溢れる話になっている。

マーカスのように過去に固執しすぎるのもよくないし、サシャのように過去を捨て去るように先へと行き過ぎるのも良くない。そんなことを、二人はいままでの生きてきた人生と今の交流を通して気付いていく。やっぱり、これが答えとは言えないし、人生なんて答えはないから、なるようにしかならないと思うけど、監督のナナーチャカハーンならびに、製作と脚本も兼任している主演二人の人生にかける想いというのは、そういうことなのだろう。男女の違いというものがあるけれども、それでもお互いを受け入れて支え合って生きていく。そういうことなのだろうか。人生経験ペーペーだから偉そうに言えないけど。

サシャ役のアリウォンは、コメディアンで女性の社会的立場をネタにしているので、こうしたジェンダー的なことは意識ているとは思う。
とにかく、この二人が両極端にデフォルメされているのが、よりわかりやすく、テーマが伝わりやすかった。

更に良いところが、二人はそれに気づいてないというか、あえて避けているということ。マーカスはバンドで飛び立とうという気持ちは無意識に働いているけど、地元愛や片親を言い訳にして避けている。対して、サシャは豪華なもので身の回りを取り繕ったりするけど、いざプライベートな環境に入ったり、地元に帰ると、ものすごく言動は地元感溢れてるし、服装もズボラな感じで、プライドは無くなる。二人とも無意識には働いているけど、あえてそうしようとしている感じが演出のおかげか、醸し出てるのが良い。

コメディとしても、よく出来ていて、クスクス笑えるし、なんならキアヌ・リーブス出てくる謎キャスティング。なんでキアヌはこの映画に出ようとしたのか。関係性が謎である。いつもどおり、イケオジで役ではなんか嫌そうな奴だが、どう足掻いても憎めなくて、優しさが滲み出てくるキアヌだ。もうホント好きよキアヌ
ランドールパク。好きよ!!!

マーカスが韓国系アメリカ人で、サシャはトランという名前からして、ベトナム系?の役だと思うのだけれども、こうしてネトフリは好きだった君へのラブレターで韓国系アメリカ人キャラを主人公にしたり、アジア系を積極的にキャスティングしているのは現代らしく多様性に富んでいて、日本人からしても素晴らしい。監督もインド系の人なな?そう言えば、インド系の俳優のカランソニが出てる。デップーのタクシー運転手ね。
今、実写のアラジン役のメナマスードが、超大作出たのにも関わらず、中東系の顔立ちであるがゆえに、オーディションで受からなく、テロリストみたいな悪役でしか出演できない状況に不満を呈していて、まだまだハリウッドも改善の余地があるから、ネトフリがここは牽引してアメリカ映画の多様性を確立していってほしいところだ。
Masato

Masato