ラウぺ

レ・ミゼラブルのラウぺのレビュー・感想・評価

レ・ミゼラブル(2019年製作の映画)
4.0
ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」ゆかりのパリ郊外モンフェルメイユ。地方から犯罪防止班に転属してきた警官は初日に先任の警官とともにパトロールに出る。移民と低所得者の街となったモンフェルメイユではさまざまなグループ同士が緊張状態にあった。些細なことがきっかけとなり、混乱は次第に収拾不能となっていく・・・

「レ・ミゼラブル」の街が舞台となっていること以外にヴィクトル・ユゴーの小説とは物語的に繋がりはありませんが、題名がそのまま『レ・ミゼラブル』となっていることの意味は映画を最後まで観れば納得できると思います。
ヤバイ街で犯罪防止班に所属することはヤワな警官には難しいことを先任の警官のタフな雰囲気が物語っていますが、警官としての一般的な良識をわきまえ、職務の執行について正規の手順に則ることを遵守する主人公の警官は、この街の空気を観客に伝えるための案内役として機能しています。

街の大人はそれぞれに所属するグループでコミュニティを掌握していて、子供を含む配下に目を配らせることで街の秩序を守っているという状況は、主人公の信奉する法のもとの秩序とは別に、パワーバランスによる秩序に警官もまた組み込まれているという、危うい平穏のうちに保たれているのでした。
ロマのサーカスから黒人の少年がライオンの子供を盗んだことで玉突きのようにこの危ういバランスが崩れていく様子は大変リアリティがあり、人の争いの積み重ねが、僅かな行き違いや強情さのおかげで如何に簡単に規模を大きくしていくのか思い知ることになるのでした。
あのとき少年がライオンを返していれば・・・、警官がもう少し自制的になっていれば・・・、といったいくつもの「if」の重なりによって争いが不可逆的なものになっていく過程は人間の普遍的な特性なのだと思います。

はじめに第三者として物語に登場した主人公は自らの意思や理想とは関わりなく深刻な事態に巻き込まれ、最後には決定的な行為者の側に立たされ、究極的な決断を下さなければならなくなります。怒りの増幅の果てに物語はどちらかが斃れることでしか終らない決定的な段階に達するのですが・・・
本作のエンディングの巧みさは、人の争いをどのように収めるべきなのか、観客自身がそれぞれ結論を出すように強いることで、このテーマと真剣に向き合うことを求められるところにあるのだと思いました。



以下ちょっとネタバレか?

エンディングの冒頭にヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」からの引用がクレジットされます。
市長となったジャン・バルジャン(マドレーヌ氏)の言葉
「よくおぼえておきなさい、世の中には悪い草も悪い人間もいない。
ただ育てる者が悪いだけなんだ。」
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