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家族を想うときのKtoのレビュー・感想・評価

家族を想うとき(2019年製作の映画)
4.5
【ひとこと説明】
原題 Sorry, We Missed You
フランチャイズ化による現代の搾取的な労働構造に苦しめられる男が、私生活も上手く回らなくなり様々な不幸に見舞われる苦しい話。

【感想】
前作(わたしはダニエルブレイク)で引退宣言をしたはずのケンローチ監督が、「このままでは引退できぬ…」と腰を上げたのも納得。実際に、映画と同様の雇用形態で働いていた男性が、過労のあまり糖尿病の受診ができず死亡した事件に基づいているそう。

現代の大きな社会問題となっているフランチャイズ制度(セブンイレブンなど)やギグエコノミー形態(UberEatsなど)の”被害者”に脚光を当てている。ケンローチ監督の手腕がさえ渡っている。ドキュメンタリータッチで、かなり心が痛くなる。
スター俳優の起用は全くなく、主演俳優も40歳まで配管工として働いていた人だし、マロニー(上司)は現役警察官らしい笑。演技うますぎ。

労働環境が悪すぎて家族との時間が作れず、息子がグレて、そのせいで帰って自分の仕事にも悪影響がでる、という悪循環。そもそもコントロール不可能な思春期の子供に、自分にも余裕がないから一方的・抑圧的に当たってしまう感じも非常に辛い。そこで無遠慮に口を出してくる上司の存在も本当に疎ましい。
他の監督なら、最初の口喧嘩で殴っていそうなところを、我慢しつづけるあたりがケンローチ監督らしいリアリズムなんだろな。

自分が病院勤務をしている影響か、介護中に患者が皿をわざと落とすのに怒らず付き合ってあげるところとか、アビーの反応が妙にリアルで辛かった。「こっちだって時間ないのに、あんたの対応してんだよ!」ってすぐに怒鳴らないのも、またケンローチ監督らしいリアリズム…。

彼らが我慢すればするほど、こちらも胃が痛くなってしんどい。そして、終盤に何かが解決されるわけでもなく、溜まっていたストレスが発散されるカタストロフィが用意されるわけでもない現実。

病院で上司と電話するシーンはフランチャイズエコノミーの歪みが露骨に現れている。便利さを享受している我々にも一部責任があるのだろうと考えてしまった。

「わたしはダニエルブレイク」に匹敵する、しんどくて社会性の高い傑作だった。
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