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その手に触れるまでのsatoshiのレビュー・感想・評価

その手に触れるまで(2019年製作の映画)
4.5
 『少年と自転車』、『午後8時の訪問者』などの、ダルデンヌ兄弟最新作。実は私、本作が初のダルデンヌ兄弟作品です。ダルデンヌ兄弟の作品は前から観てみたいと思っていましたし、本作に関しても絶賛評を目にしたので、鑑賞しました。

 ダルデンヌ兄弟が今回題材としたのは、イスラム教の過激な思想に傾倒してしまった少年の姿でした。この手の作品だと、思想を「矯正」することを主眼としそうなものなのですけど、本作に関しては少し違いました。本作は、アメッド少年という、ただのゲーム好きの少年が如何にして過激な、排外的な思想にのめり込んだのかを、アメッドに寄り添う形で見せていく作品で、アメッド少年はもちろん、我々観客すらも「不寛容な思想」から解放させていく作品でした。

 「過激な思想に傾倒した人」と言えば、どこか「特別な人」と見てしまうことがあります。あくまでも、自分たちには関係ないと。しかし、本作で描かれているアメッド少年は、過激な思想に傾倒する前はただのゲーム好きな少年でした。そんな彼の姿を、本作では淡々と追っていきます。本作では、アメッド少年を「間違った存在」として断罪しません。あくまでもアメッド少年に寄り添っています。

 彼が思想にハマる要素は複雑で、色々な理由がありますが、1つには幼く、未熟故の偏狭な世界観があります。13歳ですから、まだ世の中のことを知らないのは当然なのですが、それ故にネットにある伝道師動画を信じ、悪徳な伝道師に騙され、世界の見方をそれだけに固定させ、犯罪に走ってしまう。そして、自分が正しいと思っているから、他人に価値観を押し付け、それを悪いことだとは微塵も思わず、寧ろそれによって疎外感を強めていく(ルイーズの下りとか)という負のスパイラル。これは、イスラムの過激思想に限らず、世の中の排外的な思想や運動全体に繋がってくると思います。つまり、世の中を単純化し、「1つの正しい考え」に固執し、それ以外を拒絶するという。

 「固定」と言えば、本作のアメッド少年は、眼鏡をかけていて、犯罪に及ぶとき、それを固定しています。私にはそれが、彼の「偏狭な世界観」を表現しているように思えました。だからこそ、最後で転落して、眼鏡を失くしたとき、彼は初めて、世界を「自分の目で」見たのかもしれないと思いました。ならば、彼の本当の更生は、ここから始まるのだと思います。

 このように、本作は、1人の少年の姿を、断罪するのでも、批判的に描くのでもなく、淡々と描いた作品でした。そして、その姿を描くことで、不寛容な姿勢を生む構造を分析し、我々観客を不寛容から解き放つ作品だったと思います。
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