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ANIARA アニアーラのShingoのネタバレレビュー・内容・結末

ANIARA アニアーラ(2018年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

>しかし、船ではなくそれは未知の物質で作られた巨大な槍の形をした物体だった…。

え、ロンギヌスの槍?

↑本編を鑑賞する前にこう書いたら、本当にそうだった。

本作は、ハリー・マーティンソンの宇宙叙事詩「アニアーラ」が原作。これはSF小説ではなく全103篇からなる詩集である。(その内29篇は、詩集「チカダ(蝉)」に収載された「ドリスとミーマの詩」)
それ故、いわゆる起承転結のある物語とはなっていない。
ひとつひとつのシークエンスが、詩の一篇のようなものなのだろう。
旧約・新約聖書を中心に、神話・タオイズムも取り込んでおり、その下敷きがないと作品を理解することは難しいかも知れない。

映画の中盤で、槍状の物体がアニアーラに接近し、それを回収する場面がある。結局これは何の役にも立たず、その正体も不明なままなのだが、聖書における槍と言えばイエスの脇腹を指したロンギヌスの槍を想起せざるを得ない。
つまり、アニアーラの乗員すべてが、「人類の原罪を背負った存在=イエス・キリスト」のメタファーであり、そこに槍が回収される=刺さるということは、磔刑になったイエスの命が尽き、原罪を贖ったというメタファーとも考えられる。

では、人類が背負った原罪とは何だろうか。
本作は、意外なことに日本への原爆投下や水爆実験に影響を受けたと語られており、アニアーラが回避しようとした小惑星は「ホンド」という名で、これは「日本本土」からとられている。
乗員の中に、火傷の痕がある者、顔がひどく崩れている者がいることや、原作発表当時がまだ冷戦時代であることを考え合わせると、核戦争によって地球が居住不可能になったものと推察される。
いわば、科学という「知恵の実」によって、人類は原罪を背負ったということだろう。

また、船内で起きる様々な出来事は、7つの大罪と対応しているように見える。(傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲)
とは言え、これはアポカリプスものや極限状態の人間を描いた作品であれば、どこにでも登場する出来事である。しかし、他の作品と違い、そこに一切の希望が見いだせないのは、やはり「人間の罪深さ」を描こうとしているからであるように思える。

物語は、「棺桶」と化したアニアーラが、地球型の惑星に到着するシーンで幕を閉じる。これは、「再生」を意味しているという。
アニアーラが原罪を背負った人類=キリストの肉体のメタファーであるなら、再生とはキリストの復活だろう。想像だが、おそらく船内には大量の有機物(分解された肉体)が浮遊しており、船がこの星に落下し、有機物が海に放出されることで、新たな生命が誕生するのかも知れない。
これは、隕石に付着した有機物が地球の生命の起源と考えるパンスペルニア説の引用だ。

※ところで、最初にこのシーンを見た時は、宇宙を一周して地球に戻ってきたのかと思った。宇宙は閉じた空間で、どこまでも"真っすぐ"移動していけば、いずれ同じ場所に戻ってくるとも言われている。

SF的ガジェットは、原作が古典でもあり、既視感があるのは否めない。しかし、冒頭の軌道エレベーターの描写は秀逸だったと思うし、アニアーラの形状も面白い。宇宙船は、船といいつつも大抵は飛行機やロケットのような形状で描かれることが多い(松本零士を除く)。アニアーラは豪華客船のようであり、ひとつの都市がそのまま宇宙に浮かんでいるようでもある。

槍の回収のために、シミュレーションを行うシーンを挟むのも芸が細かい。船内で藻を栽培するのは、食料生産と酸素供給の意味があり、合理的。(しかし、死者を宇宙に放逐するのはもったいない。遺体も重要な資源であり、分解してリサイクルすべきだ。)
また、人工重力の講義で、以前は遠心力を使っていたと説明するくだりも面白かった。こういったリアルな設定は、原作が書かれた1950年代には真新しいものだっただろう。

MIMAが人々の感情を大量に受けすぎて苦しみ、最後には自殺(=爆発)してしまうのも興味深い。知性は、論理的な思考の産物と考えがちだが、思えば生物は、知性より先に感情を獲得したのではなかったか。それを土台として知性が生じたのだとしたら、MIMAの中に知性が宿り、苦しみ、自らの意思で死を選んだのも、自然なことなのかも知れない。
※また、これは人が人を創りだした=神への挑戦とも解釈できる。
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