シゲーニョ

フリー・ガイのシゲーニョのレビュー・感想・評価

フリー・ガイ(2021年製作の映画)
3.9
自分にとって本作「フリー・ガイ(21年)」を一言で申せば、
「喰わず嫌い」の映画になるだろうか…。

着想に「グランド・セフト・オート」や「フォートナイト」のような、殺人や犯罪が許されるオープンワールドゲームがあるのは明白で、スーファミ以降、全くゲーム機に触っていない自分には食指が動かず、またプレイした人だけが堪能出来る要素(=わかる人にはわかる小ネタ)がたぶん多くて、100%楽しむことなど無理だろうと及び腰になったり…過去、エドガー・ライトの「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団(10年)」にイマイチ乗れなかったニガい経験もあったので、劇場に行くのを早々と見送っていた。

しかし公開から半年以上経った先日、BS放送にて、友人に半ば強引に鑑賞させられてしまう事になる。
友人にとっては2021年公開された映画のベスト5に入るほどの傑作らしく、アメコミ映画好きの自分にしてみれば、デップーを演じたライアン・レイノルズは嫌いじゃなかったので、一切恨み節も吐かず、黙ってTVの前に腰を下ろしたのだが…。

本篇中盤、ガイとモロトフ・ガールがバブルガムアイスを食べながら港を散策するシーンあたりから、大きく後悔することになる。
「なんで、もっと早く観ていなかったんだ! なんで劇場に行ってIMAXで観なかったんだ!」と…。


個性も主張もない凡人(ダメ男)が実は「選ばれし者」だったという設定は、仮想現実が舞台であることも併せて、モロに「マトリックス(99年)」や「レゴ®️ムービー(14年)」だが、それらの主人公たちと異なるのは、自分の心に従って行動し、「他者」と力を合わせて社会を変えようとする意識が芽生えるところだ。

ライアン・レイノルズ演じる主人公ガイは、人を殺すことが許された何でもできるゲーム世界で、ただ独り、「善いこと」をしようとし続ける。

あくまでも個人的な人間観だが、大抵の人はまず自分を第一に考え、周りの人たちの生活を気遣うことなど二の次になる。それが行き過ぎた場合、他人を踏み台にしてまで自分だけが幸福になろうとする強欲者となる。

果たして、そんな生き方が幸福なのだろうか。
友人に恵まれた人生の方が楽しいんじゃないだろうか。

たとえ、人生が自分を「主人公」とする映画やゲームであったとしても、「背景=モブ」と思えた他者と喜びや悲しみといった感情を共有することが、その物語を豊穣なものにするのだと思いたい。

もし、倫理・道徳観、宗教が無くなってしまったら、人間は自分の意志で善行を成すことが出来るのか、それが本作「フリー・ガイ」の主題なのではないだろうか。

劇中、ガイはゲーム世界を「爽やか」に解放していく。
平凡すぎるモブキャラが、最後の最後まで「善い人」のまま、世界を救うヒーローになるところが重要なポイントだと思う。

そして、ガイが毎朝通うカフェで、いつもと異なるメニューを注文するシーンも見逃せない。
周囲のモブキャラは「いつも通りにしろ!」「いつも通りじゃダメなんすか?」とガイの行動を否定しまくる。
これは、新しいことに挑戦する人を妬んだり嘲笑したり、周囲の反応を伺って他人に合わせることが当然となってしまった風潮を暗喩している。

社会で生きぬく上で、集団を重んじた時、個性を殺すべきなのか。
そうならば、自分を殺してまで生きることが幸福といえるのか。

終盤、モブキャラに向けてのガイの言葉「自分の人生の傍観者でいる必要はない。自分で決められるんだ!」は、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還(03年)」のアラゴルンの決戦前の演説「人間の勇気が挫けて友を見捨てる日が来るかもしれない。だが今日ではない!今日は戦う日だ!」に負けないぐらい、聴いていて気持ちがアガる名台詞だ。

「善いことをすれば、きっと善い世界が作れる」
「人生の行く末は自分次第」…そんな本来当たり前であることを感じさせてくれる作品なのである。


本作は一見ハチャメチャに見えるストーリーであるが、ゲーム世界・現実世界それぞれの住人キャラの機微を繊細に描き込むことによって、異なる世界で生きる彼らの行動原理がリアルに理解・共感できるようになっている。

この辺は、「バーチャルも楽しいけど、現実世界で生きることが大事」と、まるで遠足か運動会の終わりに教師から「宿題するのを忘れるなよ!」と言われたような、冷や水を浴びせる教訓的メッセージで締めくくった、後味の悪い「レディ・プレイヤー1(18年)」と明らかに違うところで、だからこそ余計に本作を支持したくなる(笑)。

モロトフ・ガールに恋するガイ。その正体であるミリーもガイのことをまんざらでも無いように見えるが、現実とゲームの境界を越えた「ピグマリオン・コンプレックス」のような展開にはいかないし、キレッキレのスネークダンスを決めるチャニング・テイタム(!!)をアバターとするプレイヤーのキースも、奮闘するガイを応援しつつも、部屋で掃除機かけ始めた母親が、気が気でならない(笑)。

そして、ゲーム「フリー・シティ」の仕掛け人アントワンに激しいほどの忠誠心を持ち、その献身度を証明するためにどんなことでも喜んで引き受けるプログラマーのマウサーが、最後の最後で人生の人生たる証が「友情」であることを悟った末、とったある行動…。

やはり中でも最高なのは、同じルーティンを繰り返す毎日に満足しているガイのマブダチ、バディだろう。
自分がオンライン・ゲームのモブキャラでゲームの中だけにしか存在しないことを知った際、ガイに言い放った台詞「俺が現実に生きていなくても、今、困っている親友を助けようとしている。今この瞬間こそが、俺にとってのリアルだ!」は鑑賞後しばらくの間、自分の活力となるほどの蓋し名言である。

そして、劇中度々映し出される、ミディアムサイズでクリーム&砂糖2つのコーヒーや、バブルガムアイスと思い出のブランコ等々、それら全てのフリをちゃんと回収して、観終われば、「そういうことか!」と合点がいくマット・リーバーマンとザック・ペンの筆さばきには平伏するしかない。
(たぶん、本作のプロデューサーも兼ねたライアン・レイノルズが、脚本にガシガシ手を入れたのであろうが…笑)

特に、ファンタジー映画で描くべき「キス」の意味・重要性をちゃんと弁えているのがエラい!!

港を散策中、すっかり惹かれ合うガイとモロトフ・ガール(=ミリー)はついにゲームの中で口づけを交わす。

モブキャラのはずのガイが、何故キスの仕方を知っていたのか?
現実世界では(たぶん)未経験のファーストキスを、何故ミリーはガイに捧げたのか?

そして、終盤、ガイの窮地を救うべく、再びガイと口づけを交わすミリー…。

「眠れる森の美女(59年)」を始祖とする、気恥ずかしい「キスの奇跡」の伝統を照れもせずちゃんと描いた本作を、「マトリックス」でトリニティとネオのキスを「心肺停止時の電気ショック」みたいに描いたウォシャスキー兄弟(姉妹)には、100回見直すように!と注意したいくらいだ(笑)。

また、ネット上のレビューを拝見すると、本作「フリー・ガイ」は他作からのパッチワークが多いと指摘されているが、登場人物たちの心情にそれぞれマッチしていて、釣り合いのとれたビジュアルのように個人的には見て取れた。
(もちろん、オリジナル作を揶揄するような底意地の悪い描写も少々あるが…笑)

サングラスをつけろ!つけない!と、「ゼイリブ(88年)」のようなやり取りでニヤリとさせるガイとバディを筆頭に、モトロフ・ガールと釣り合う男になりたくてレベルアップに勤しむガイの姿は、「オール・ユー・ニード・イズ・キル(14年)」で殺されても、それまでの記憶を維持したまま同じ1日を繰り返すトムクルそのまんま。

ただし「トゥルーマンショー(98年)」に関しては、主人公がいつもと違う行動をとったことで周囲の人々が戸惑う点では類似性を感じるが、ジム・キャリーが外界に出ることを選択したのに対し、本作でのガイはモブキャラたちに自我を芽生えさせるきっかけを与えたうえ、そのゲーム世界で生きていくことを決意するので、似て非なる感じと自分は思っている。


最後に…

本作の主役を務めたライアン・レイノルズについて。

雑魚キャラからヒーローまで演じきれる多才ぶりに改めて感心させられたし、「ブレイド3(04年)」や「スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい(06年)」、そして「デッドプール(16年〜)」2作など過去作の役柄&演技含め、どんなにヒドい展開になっても「主演がコイツなら大丈夫」と納得してしまうのは、もはや名優の至芸と言ってもいいだろう。

但し、本作「フリー・ガイ」では終始「善い人」を演じなければならなかったので、彼本来の魅力である、スラングや行儀の悪い表現をバンバン取り入れたリアルな言い回しが聴けなかったのはちょっと残念であり、贅沢な悩みなのかもしれない。
[注 : ポルノ男優のバイトをするダメ男を演じた「チェンジアップ/オレはどっちで、アイツもどっち!?(11年)」や子供嫌いのためア○ルセックスしかしない「ウェイターはつらいよ(05年)」、そして「デットプール」の第四の壁など…あまりにもお下品な台詞なのでここでは詳細を省かせていただきます!]

もう一つライアン・レイノルズに感心するのは、その選曲のセンスである。
デップーシリーズから注目していたことで、もしかしたら作品それぞれの監督や作曲家との共同作業かもしれないが、どの曲もシーンに上手くマッチし、また使いどころ、そのタイミングが抜群である。

キーズのアバター(=口髭ちょいワル警官)とマウサーのアバター(=筋肉隆々のウサギの着ぐるみ)から逃走中、ガイが建設中の建物から転落するスローモーションに流れるのは、マイリー・サイラスのヒット曲「Wrecking Ball(13年)」。
しかも、サビの「I Came in Like a Wrecking Ball(解体用の鉄球みたいにすごい衝撃だった)」のワンフレーズだけ。

他にも…

キャス・エリオットの「Make Your Own Kind of Music(69年)」をBGMに、モロトフ・ガールがガイと向き合ってバイクに乗りながら、2丁の拳銃を使って敵の追撃を逃れるシーン。
「自分だけの音楽を作らなきゃダメ!/その曲を自分と一緒に歌ってくれる、そんな人がいなくても/もしも一緒に歌いたいって願っていたのに、出て行ってしまったのなら我慢するしかないわ」という歌詞は、ガイの協力を期待するモロトフ・ガールの心境にピッタリだ。

そして、最強キャラのデュードがガイにサングラスをかけられ、プレイヤー視点のゲーム世界に夢中になるシーンで流れるのは、ジョーイ・スキャベリーが歌う往年のTVシリーズ「アメリカン・ヒーロー(81年)」のテーマ。
「信じようが信じまいが、僕は空中を歩いている/こんなに自由を感じたことなんてなかった」と、台詞ひとつ無くとも(笑)この歌詞が、デュードの気持ちをまさに代弁している。

極め付けは、冒頭含め、劇中の要所要所で流れるマライア・キャリーの「Fantasy(95年)」だろう。
トム・トム・クラブの「Genius of Love(悪魔のラブ・ソング/81年)」をサンプリングした、全米ビルボード誌8週連続1位となる大ヒット曲で、「それは甘い甘いファンタジー/目を閉じればあなたが連れて行ってくれる/終わることのない白日夢/(中略)あなたが欲しくてたまらない」という歌詞は、ネタバレになるので詳細は自粛するが、主要登場人物のまさにラブレターであり、本作の主題歌と言ってもいい曲だ。

まぁ、歌詞だけ聴くと、あまりヒネリのない直球型の選曲だし、只の懐メロじゃんということになってしまうが、彼がスゴイのは「今改めて聴くとカッコいい、あるいはジワっとくる曲」を嗅ぎ当てる才能を感じさせるところ。
音楽使用料もハンパない値段だと思われるが、本作以降も、この曲へのこだわりは続けて欲しいと願うばかりだ。


では、ただの良い1日でなく、素晴らしい1日を!