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男と女 人生最良の日々のニューランドのレビュー・感想・評価

男と女 人生最良の日々(2019年製作の映画)
2.9
✔『男と女 人生最良の日々』(2.9)及び『ライフ·イットセルフ』(3.1)▶️▶️

 長い時間を置いての、運命の人との再会の物語の、二本立である。只、一本は片方の老齢化で·もう一本は前回は片方がまだ胎内にいて、その認識は確たるものでないか·或いは互いの出自をまだ全く知らない。だが、2作とも、過去を繋ぎ未来に向け、2人は最良の日々を紡いでゆく(前者では想い出の地に赴いて緑の光線を目の当たりにし願いごとを、後者では二人の娘が両家の曰くと運命を小説として発表·朗読会、へ括られる)。
 無関心で分からないが、『男と女』関連何本めなのか。ルルーシュ自体は、私は数本しか観てないが、世評によるとこれほど、安定した良作を永きに渡り提供し続けているフランス人監督は稀では?の感。20数年前からWOWOWなどでも、日本未公開作も含めた特集放映を何回かやってたのに、録画だけで止まって来ていた。トリュフォやそのシンパからも、非映画としてコテンパンに散々叩かれた『男と女』だが、最も良かった作品と云われる·純な映画ファンによく出くわす。尤も私は、駆け出す親から脇に外れてく子、運転中の横見チラチラシーンくらいの記憶しかない。ただ、『男と女』『白い恋人たち』ら以外は、ルルーシュは、全期を通してはわりとキッチリした作風·内容の物が多い気がする。しかしトリュフォより映画の本道のくせして、ヌーヴェルヴァーグの末尾には加えて欲しいのか、作中で自らの作風に近いデ·シーカをヌーヴェルヴァーグの生みの親なんてでっち上げてる。タヴェルニエなんかと並び、年代的にこの派に羨望があるのか。今の世代だと、仏留学でもしたゴダール·ロメール狂くらいしか、この派を語る人もいないのに。
 後で「あんなに想ってくれてたとは。別人になってたが、感激変わらず。かつての男性的薄れ、男女関係逆転しても、震えるものが同じく。彼らしい所も時折は。全ては選べないが、従う価値がある。」と云わす、二人の再会1回目の(望遠·パン付で縦めも)延々単純リバースがすばらしい(導入の長いフォロー+廻る機能的移動や、L遠景入るも)。(これもそのシーンだけ素晴らしい『ケープ·フィアー』のデニーロ=リュイスの多義性にも匹敵し、)病か·演技か·夢見か·本音か·束の間覚醒か、本編の核·カオスが美しく無理なく伸びてく。「朝早くここから逃亡へ」「無謀しなくなったのは何時から?」「僕を退屈でないって」「片時も忘れは。それにしても似てる」「離れたのは間違い」「娘·息子がいるって、俺が言った?」「子らとはケンカしても通じ合い」。老人の概念が内から破られ伸ばされてゆく。
 「穏やかさと冷静さが、別れ後の安定を決める」「恋の強さは二人を上回る」「最後の女となる姿勢が怖かった」「2人だと、怖いは自分でなく、相手の死」「愛は危険へも、美しく」。その後は、夢の内外往き来、(低い)車疾走フォロー、過去作挿入(カットバックやOL)、医師や娘との会話、そして2人のその後の面会·思い出場への遠出、等が埋め、始めのシーンの変奏となる、F·レイの力も借りて。
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 『ライフ~』は、なかなかに名匠らしき、感動ものらしき、世界を披露してくれる。「誰がヒーロー足り得るか。人生自体も、物語の信頼出来る語り手には成り得ない。予測出来ない事が起り、人生に屈服させられることは当たり前に。しかし、勇気を持って踏み出せば、必ず真の愛に到達できる。命は失っても、次の世代の中に生き続け、広く大きな所へ。私は父であり·父の父であり·(血のつながらぬ)おじであり、母であり·母の母である。」「運命の人。人生で最も大切な出会いの日。」「これからは距離を取る。ーいや、支えられない僕の代わりを。送金はする、逐次情況の手紙を」
 脚本内·セラピー告白·大陸間往き来·出版披露会の何層もの深い地点掘り当て志向、掛け合いの様な多種語り手入れ代わりの妙と格、時制や場所やイメージを細かく往き来させての細かい信条·真意がズラシ遅らせ深まってく構成。なかなかに感動的なシナリオ組立て、それを更に深める声の質·ボブディラン·柔らか表情·深い交流仕草·強い想い滲み·慎ましい姿勢·運命の線見え隠れ、それらの現象とそれを捉えるカメラの、時代や土地柄·時代色のルック、刹那の重ね·急な変化と反応の突飛さと深い意識への刻印、だが···。こんな事はいつもは云わない禁句(演劇的であろうと、TV的であろうと、文学的であろうと、活き活き面白けりゃエエヤン、という立場)だが、映画として如何なものか、余計な気取りや既成の価値観の過大視は、表現とは、解放ではなく·なぞりと閉塞と、意に反して宣言してる気がする。『巴里のアメリカ人』が『雨に唄えば』『バンド·ワゴン』に比べ明らかに数段落ちるのと同じ理由だ。
 私の両親より年長のA·エーメ、J=L·トランティニアン、私と近い世代のA·バンデラス、A·べニング、等の未だ余裕でキレのあるストレート、味ある変化球を放れるを確認出来るだけでも観て損な番組ではないが。
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