原題は「Blinded by the Light」で同名のスプリングスティーンの曲から。この邦題もまあ確かに内容に則してはいるのだけど、原題こそが相応しいということは観ればわかると思う。
今作は音楽に出会って少年の人生が変わっていくという類型の映画作品ではあるけれど、通り一遍のものではなく現代で語られるべきものになっている。主人公はロンドン郊外に住むパキスタン移民の高校生で、舞台は1987年。その彼がスプリングスティーンの楽曲に出会って‥というあらすじだけ聞けば「現代向けの設定」かと思いもしたが、冒頭に出る例の「実話に基づく」という一文で驚いた。それは当然の受け止めだろうし、だから劇中での周囲の反応は納得なのだ。でもその時の彼にとってそれは運命的な出会いであり、そこで彼は音楽を演るのではなく文章で“BOSS”の魂に近づいていくという展開が素晴らしいと感じた。
さてネタバレ。
ジャベドがスプリングスティーンに出会うきっかけはループスだった。彼はシク教徒だということなのでインド系だろう。彼の家系がいつからルートンに住んでいたのかはわからないが、服装からはそれなりに裕福そうに見える。そのループスがボスに傾倒したのはどうしてなのか気になるところだが、あの年代で少し前のロック(それも社会派の)を聴くという選択は個人的には共感できる。日本人にとってはボスの音楽性は佐野元春や浜田省吾を通して触れることになるケースは多いだろう。ちなみに87年はU2が名盤「The Joshua Tree」を発表した年で、3月に発売されてから英米でバカ売れしていた。だから今作では意図的に排除していると思われる。
それはともかくとして、このループスのイイ奴っぷりが秀逸だ。ジャベドを導くように前を歩いていた彼だが、あのレストランでの差別主義者からの嫌がらせに対しては屈している。ツラいシーンだ。しかしビデオテープ(もちろんボスのものだろう)を取り返すために勇気を発揮したのはジャベドだった。ここで2人のボスへの想いの強さが逆転したのがわかる。
そこからのミュージカル演出のようなシークエンスがいくつかあったが、この辺りは近年のインド映画をも思わせるし、演者や製作サイドが楽しんで撮っている雰囲気が伝わってきて素敵なものになった。
マットの父親を演じたロブ・ブライドンは本人がボスのファンであるそうで、マットにその魅力を語るシーンなどは味わい深い。と同時に、マットやカレッジのDJ、新聞部の生徒の反応はリアルだろう。しかしそれはボスへの当時のティーンの受け止めというだけでなく、知らないモノ、異なる者たちへの対応そのものだ。そうした偏狭な考えがボスの言葉、ジャベドのボスへの想いを通じて変わっていくところにこの物語の良さがある。
今作はキャストがとても良くて、まずディーン=チャールズ・チャップマン(マット)は『1917』での印象とまったく違うもので、有望株そのもの。アーロン・ファグラ(ループス)の快活さも今作の出来の良さにつながっている。
そしてネル・ウィリアムズ(イライザ)。彼女もすでに有望視されているそうで、今作では唯一といっていいであろうリアリティの薄いあの役柄を、とても魅力的かつ等身大で演じられる懐の深さを感じた。今まではTVシリーズが主戦場のようだが、注目したいと思う。
最後にヴィヴェイク・カルラ。彼も間違いなく今後活躍するはずだと思わせる魅力のある俳優で、今作ではティーンエイジャーの役どころだったから、次の作品などで観た時にはかなり違う印象を受けそうだ。この若手4人が揃った作品があったことは後年に評価されることにもなりそう。
ちなみにカーン家のあのくたびれた車は、マリクが解雇されたボクスホールのヴィーヴァという車種かな。60年代にヒットしたというから、本当にかなりのベテランなのだし、おそらくマリクが移住して最初に買ったものだろう。その車が動かなくなってきたことと彼の処遇は重なっている。
そして今作で最も美しく描かれたのはジャベドの姉の結婚衣装で、その美しいものが最も醜いものによって損なわれてしまうあのパレードのシークエンスは悲しかった。パンフレットにも書かれていたが、あの国民戦線のデモの撮影は演じたエキストラ達にもツラいものだったそうだ。
それにしてもスプリングスティーンの楽曲群をフィーチャーしたミュージカル要素の強いドラマというものを、2020年にこのように観られることの可笑しさというか、不思議さというか。そうした側面もありながら普遍性のある音楽、テーマ、というものの良さをあらためて感じさせる良作だった。ドラマ自体はベタだがその良さがあるのだ。そしてジャベドの母親が母国語で「息子」の意味の「ベタ」と呼びかけるシーンはグッとくるもののはずだが、クスっとしてしまった。