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カセットテープ・ダイアリーズのpicaruのレビュー・感想・評価

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【君にしか書けない詩(うた)の話】

『カセットテープ・ダイアリーズ』

1987年。
ある少年がブルース・スプリングスティーンに恋をした。

それは、天気予報が台風の接近を伝えた日。
あの瞬間、どんなに天気が荒れても、どんなに風の音が騒がしくても、彼にとってのハリケーンは音楽だった。

主人公はイギリスの田舎町で暮らすパキスタン移民の高校生・ジャベド。
無難なチェックシャツ。
青春に乗り遅れた髪型。
未熟な眼差しとぎこちない笑い方。
これぞ、典型的なダサい男子。
ああ、好きだ、と思った。
今年観た映画の中で一番好きな主人公だ、と思った。
彼はいったいどんな光を内に秘めているのだろう。

『カセットテープ・ダイアリーズ』というタイトルからイメージして、音楽と出逢い、音楽を創るようになる少年のモノローグ映画なのかと思っていた。
しかし、映画がスポットライトを当てたのはメロディよりも歌詞のほうで、主人公は日記を綴り、詩を書きためる物書きだったのだ。
80年代当時の社会情勢を背景に、民族問題や政治と絡めながらストーリーは展開される。
『シング・ストリート』を想像して観に行ったら、男性版『レディ・バード』だった。みたいな。
原題は『Blinded by the Light』。
ブルース・スプリングスティーンの名曲「光で目もくらみ」から取られたものでありながら、鬱屈とした日々の焦燥感から周りが見えなくなってしまう若者特有の様子が軽妙に表されている。
親しげな邦題もクールな原題も、どちらもお気に入り。

映画の最大の魅力は主人公の心情と登場する楽曲の掛け合わせだ。
ジャベドがなにか今の気分を吐露しようとする前に歌が叫び出していたし、逆に言葉にならない感情をぐっと押し殺しているときには、歌詞が彼の気持ちを代弁して寄り添っていた。
私はこれまでたくさんの音楽映画を観てきて、たとえその作品が音楽映画を謳っていなくても音楽の演出を楽しむ癖があるのだけど、これほど器用に音楽をストーリーに組み込む映画は初めてかもしれない。
特にその歌詞の丁寧なセレクトはかつてない輝きを放っていた。

カセットテープをウォークマンに差し込む瞬間。
ヘッドホンを耳に当てる瞬間。
デニムジャケットを羽織り、走り出す瞬間。
音楽は加速する。
Born To Run
明日なき暴走。

ブルース・スプリングスティーンは少年に詩を与えた。
そして、詩の中にある声に気付かせた。
ジャベドは言う、「音楽の力はすごい」。

もちろん、スプリングスティーンは彼のために曲を書いたのではない。
だけど、音楽を聴いて「これは自分のための歌だ!」と興奮したことのある若者は彼だけではないだろう。
そんな歓喜の瞬間が、今も世界のどこかで生まれているにちがいない。

イギリスで生まれたアメリカン・ドリーム。
音楽の光で目がくらんだジャベドがようやく真の自分を見つけ出したとき、父は言った。

「お前の物語を書け」

「夢に突き進め」でも「やりたいように生きろ」でもなく、この言葉を選んだお父さんに感激。
ジャベドはどんなに嬉しかっただろうか。
一番認めてほしかった父に自分の声が届いて。

アナログがデジタルになり、時代が移り変わっても、音楽の輝きは失われない。
カセットテープ・ダイアリーズは更新され続ける。
ジャベドの日記がブルース・スプリングスティーンへのラブレターに生まれ変わったとき、彼の手中にあるコンサートのチケットは大学への片道切符になった。
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