ラウぺ

ジョアン・ジルベルトを探してのラウぺのレビュー・感想・評価

3.7
ドイツ人ライター(劇中では「作家」、検索してもあまりはっきり分かりませんが、ジャーナリスト、ライターという感じ)のマーク・フィッシャー(Marc Fisher)が2011年に出版した「オバララ ジョアン・ジルベルトを探して(Ho-ba-la-lá: À Procura de João Gilberto)」を監督のジョルジュ・ガショが手にしたことから、彼のジョアン・ジルベルトを探す旅の軌跡を追うドキュメンタリー。

ボサノバの神、「イパネマの娘」くらいしか知識のない私ですが、この作品はジョアン・ジルベルトその人の人となりを知ろうというドキュメンタリーではありません。
マーク・フィッシャーがなぜジョアン・ジルベルトの後を追おうとしたのか、それを知るための旅ともいえますが、それも作品中ではあまり明確には示されません。
ただ、マーク・フィッシャーがジョアン・ジルベルトの音楽に心酔していたこと、隠遁生活を送っていたジョアン・ジルベルトの後を追うことに一種強迫的な執念を燃やしていたらしいことが劇中で朗読される本の断片から窺うことができます。
聖地巡礼をして対象に少しでも近づきたい、というファン心理に通じるものであることは確かなことだと思います。

追えば追うほど遠くなる、陽炎のような存在にいつしか迷宮の中にはまり込んでしまったように抜け出せなくなったマーク・フィッシャー。彼は本の出版の1週間前に自殺したとのこと(劇中では「自ら命を絶ったともいわれる」との表現)。
監督もまたブラジル音楽に造詣が深く、マーク・フィッシャー同様にジョアン・ジルベルトを心酔していたことから、そのあとを追うことで、ジョアン・ジルベルトを追う2重の追跡劇としての構造がなかなか興味深いところ。
迷宮に隠れた対象者を追う者をまた別の者が追うという展開は『地獄の黙示録』でカーツ大佐を追った前任者の後を追うウィラード大尉のようでもあります。

ジョアン・ジルベルトがなぜ晩年人を避けた生活を送っていたのか、これまたよく分からないのですが、監督自身もまたフィッシャーと同じ、追えども追いつけないジレンマに陥っていくわけです。
終始挿入されるジョアン・ジルベルトの音楽、日本とはまるで異なるブラジルの風景、親しげでなんとも緩い感じの関係者たち、ゆったりとした流れのなかで、フィッシャーの会ったさまざまな人間とジルベルト縁の場所を追体験することで、そこに居ない主役としてのジョアン・ジルベルトのぼやけた輪郭が浮き彫りになっていきます。

監督もまたジョアン・ジルベルトの影を追うばかりで追いつけることはできないのか・・・と思いきや、驚きのラストを迎えるのですが、さて、あれはどういうことだったのだろう?と、観ている者を同じ迷宮に観客を引きずり込む監督の術中に嵌ってしまうのでした。
この展開は森達也監督の『FAKE』に近いものがあると感じました。

ジョアン・ジルベルトは今年(2019年)の7月に亡くなり、本当に追えども追いつけない陽炎となってしまったのが、この作品の余韻をより深める要素となったことは間違いないと思います。