ジョアン・ジルベルトを探しての作品情報・感想・評価・動画配信 - 3ページ目

「ジョアン・ジルベルトを探して」に投稿された感想・評価

hrm

hrmの感想・評価

3.8
この作品のチケットを購入したら一作品無料鑑賞できるだけのポイントが貯まったので、次の回に控えている細野晴臣のドキュメンタリー映画も続けて観ちゃおうかな?と思ったものの。
観終わった頃の私の気分はすっかり「サウダージ」で、この感覚にもう少し浸っていたくて二本目は観ずに帰ってきました。
ネタバレしたくないので多くは語らないけど、ジョアン・ジルベルトのボサノヴァは、とても美しいと感じました。
映画を観る前より、もっと好きになりました。
ジョアンジルベルトが謎なのは万国共通なのだと実感。途中から現実かフィクションかはどうでもよくなって、マークフィッシャーのドキュメントなのだと思う。ともあれ、もう生きていない原作者だが、数々の写真や、マルコスヴァーリの曲で浮かれる場面は複雑な気分になる。元妻の電話、ホテルのドアの向こうはジョアンジルベルトなのか。
SakiKondo

SakiKondoの感想・評価

3.5
映画自体がゆっくりと進むから、ゆったりと気持ちの良い昼間かゆったりとおしゃれな夜の時間に観ると、心が落ち着くかも。

観終わったあとボザノヴァの曲を聞きまくった...おかげで大好きに(笑)

すごいお方。
ドキュメンタリーの主人公となってジョアンを探す監督や、物語のベースとなっているノンフィクション本の作家や、さらにインタビューをしているミュージシャン達にも魅力が乏しかったような気がする。
本の朗読に頼り過ぎているのも残念。
それと、監督が悩んだり窓を見つめたりしている映像には全く共感できなかった。
ブラジルの風景しか覚えてない
ジョアン・ジルベルトとはなんぞや〜って感じ
sksk

skskの感想・評価

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ジョアン・ジルベルトとはいったいなんなんだろう?語る人によってぐにゃぐにゃとその姿が変わる…まるで鵺だな…。私だったらかかわりたくないけど…といいつつ、東京公演はちゃっかり行った。ので、彼は幻ではないこととその音楽がもたらす愉悦は、しってるよ。
メタ壱

メタ壱の感想・評価

3.7
2008年のコンサートを最後に人前に姿を現さなくなった、ヴォサノバを産み出した音楽家ジョアン・ジルベルトの行方を追ったドキュメンタリー作品。

僕はジョアンの事を知らずに本作を鑑賞したのですが、ドキュメンタリー作品でありながらミステリー的な要素とロードムービー的な要素を感じ引き込まれ、はじめは全く知らなかったジョアンという謎の人物に徐々に惹かれていきました。

関係者等へのインタビューや交流によって見えてくるジョアンの輪郭に好奇心を刺激されたのです。

本作は、ジョアンの行方を追った時の事を記した本とその作者であるマーク氏に感化された本作の監督・ガショ氏がジョアンの行方を追う旅の様子がメインに描かれています。

そんな彼が追い求めていたのは、ジョアンの行方であり、マークの背中であり、ジョアンの行方を追う事そのものでもあるように見えました。

そして本作の終わり方は僕にとってこれ以上ないくらいの最高の終着地だったように思います。
Kaz66

Kaz66の感想・評価

3.5
今年7月に亡くなった“ボサノヴァの神様”にまつわるドキュメンタリー。
発端はドイツ人ジャーナリスト:マーク・フィッシャーの著者『Ho-ba-la-lá: À Procura de João Gilberto』。ジョアンの音楽に惹かれ本人にひと目会う為にリオに渡るも、(ジョアンは08年8月のコンサート以来、公の場に姿を現さなくなった)、会えずに帰国しその旅の記録を一冊の本に纏めた。しかし、その自著が出版される1週間前に自殺。
それを(本を読んで心動かされた)フランス人映画監督のジョルジュ・ガショが、マークの遺志を継ぎドキュメンタリーの進行役(探求者)としてこの映画を撮ったのだそう。
本編中で、多くのミュージシャンがジョアンの偉大さを語り、同時に晩生の浮世から離れ決して人前には出ない“天狗のような”神秘性を語る。それとジョアンの“天使のささやきのようであり、年老いた神の嘆きでもあるような”オープンかつオリジナルな楽曲がオーバーラップして、果たせなかったマークの“ジョアンへの憧れ”を紡いでゆく…。
ブラジル文化の『サウダーヂ』ですな。
こんな事になるのなら、(ひと目見るチャンスがあった)2006年11月の『伝説の東京公演』に行っておけば良かったなー。たしか限定だったBlu-ray 、今からでも買えるだろうか…?
R.I.P. Joao.
Olive210

Olive210の感想・評価

3.5
あー、ジョアン。ジョアン、ジョアン、ジョアン。悲しくもあり、嬉しくもありあり、やっぱり悲しいけど、同時にジョアンの優しさを感じることができたのが救い。日本でのコンサートはドアの下に差し込んだ手紙のやり取りの末に実現したって話は本当だったんだ。ジョアンの声の魔法にかかった人は人生を狂わされる。狂わされるとまでは言わないでも、実際人生変わると思う。日本でのライブは本当に奇跡だったんたね。でも私の人生にジョアンがいてくれて良かったと思う。同じように感じている人がたくさんいるから、本人が行方不明で、生死が分からなくても(笑)路上でジョアンのお誕生日を祝う人たちがいる。どうして人を避けるようになったかは結局分からなかったけど、ジョアンは最後までジョアンだった。そう思いたい。年よりはどうしても年々頑固になりますから笑 したいようにさせてあげるのがよい、と無理やり締めます笑
ラウぺ

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3.7
ドイツ人ライター(劇中では「作家」、検索してもあまりはっきり分かりませんが、ジャーナリスト、ライターという感じ)のマーク・フィッシャー(Marc Fisher)が2011年に出版した「オバララ ジョアン・ジルベルトを探して(Ho-ba-la-lá: À Procura de João Gilberto)」を監督のジョルジュ・ガショが手にしたことから、彼のジョアン・ジルベルトを探す旅の軌跡を追うドキュメンタリー。

ボサノバの神、「イパネマの娘」くらいしか知識のない私ですが、この作品はジョアン・ジルベルトその人の人となりを知ろうというドキュメンタリーではありません。
マーク・フィッシャーがなぜジョアン・ジルベルトの後を追おうとしたのか、それを知るための旅ともいえますが、それも作品中ではあまり明確には示されません。
ただ、マーク・フィッシャーがジョアン・ジルベルトの音楽に心酔していたこと、隠遁生活を送っていたジョアン・ジルベルトの後を追うことに一種強迫的な執念を燃やしていたらしいことが劇中で朗読される本の断片から窺うことができます。
聖地巡礼をして対象に少しでも近づきたい、というファン心理に通じるものであることは確かなことだと思います。

追えば追うほど遠くなる、陽炎のような存在にいつしか迷宮の中にはまり込んでしまったように抜け出せなくなったマーク・フィッシャー。彼は本の出版の1週間前に自殺したとのこと(劇中では「自ら命を絶ったともいわれる」との表現)。
監督もまたブラジル音楽に造詣が深く、マーク・フィッシャー同様にジョアン・ジルベルトを心酔していたことから、そのあとを追うことで、ジョアン・ジルベルトを追う2重の追跡劇としての構造がなかなか興味深いところ。
迷宮に隠れた対象者を追う者をまた別の者が追うという展開は『地獄の黙示録』でカーツ大佐を追った前任者の後を追うウィラード大尉のようでもあります。

ジョアン・ジルベルトがなぜ晩年人を避けた生活を送っていたのか、これまたよく分からないのですが、監督自身もまたフィッシャーと同じ、追えども追いつけないジレンマに陥っていくわけです。
終始挿入されるジョアン・ジルベルトの音楽、日本とはまるで異なるブラジルの風景、親しげでなんとも緩い感じの関係者たち、ゆったりとした流れのなかで、フィッシャーの会ったさまざまな人間とジルベルト縁の場所を追体験することで、そこに居ない主役としてのジョアン・ジルベルトのぼやけた輪郭が浮き彫りになっていきます。

監督もまたジョアン・ジルベルトの影を追うばかりで追いつけることはできないのか・・・と思いきや、驚きのラストを迎えるのですが、さて、あれはどういうことだったのだろう?と、観ている者を同じ迷宮に観客を引きずり込む監督の術中に嵌ってしまうのでした。
この展開は森達也監督の『FAKE』に近いものがあると感じました。

ジョアン・ジルベルトは今年(2019年)の7月に亡くなり、本当に追えども追いつけない陽炎となってしまったのが、この作品の余韻をより深める要素となったことは間違いないと思います。