『ハーツ・ビート・ラウド』とか『Once』みたいな、オリジナル曲ありきの映画、ジェシー・バックレイという女優の歌唱力勝負(これ日本だったら高畑充希とかにあたるんだろうか)の映画という面もありつつ、カントリーミュージックが夢や憧れ、帰属意識のシンボル的に機能していて面白かった。
主人公ローズがお勤めを終えて出所してくるところから始まるけど、いきなり”Country Girl”で上がってしまう。あ、これ終わりでもう一回流されたら泣いてしまうな〜とか思って観てると、男のところ先に行ってから子どもに会いに行ってる?!映画に引き込みつつ、ローズの人間性までスマートに伝えてくる。この冒頭の数分がすごく鮮やかで笑えた。
「他のところが全部ダメダメだけど、ステージの上でだけ輝ける」みたいなスター像って魅力的だけど、実際周りで巻き込まれる人からしたらたまったもんじゃない。『ボヘミアンラプソディ』みたいにスターとしての生き方と母親としての生き方の両立に苦しむ、みたいなことでもなければ、『ハーツビートラウド』みたいに急激にスターになっていくことに耐えられないみたいなことでもなくて、現状何も成し遂げていない状態にあるダメなやつの話というところが新鮮。ポスターとか予告編とかから、華やかにスター街道を駆け上がっていく中で困難にも出会う…みたいなイメージを持っていただけに、ほとんどずーっとダメなまんまでローズの心持ちだけが浮いたり沈んだりしているのが意外だった。目を離すとサボるし、すぐ嘘つくし、子どもとの約束破るし、口も悪いし乱暴なローズ。超絶歌が上手いという一点を除けば、近くにこんな人いるんじゃないか、自分もローズっぽいところあるんじゃないかと思えてしまう。電車で上着と荷物なくしちゃうところとか、気持ちわかりすぎてしんどい。
グラスゴーの出身でありながら「私は本当はアメリカ人で、メンフィスに『帰らないといけない』」という言い分は荒唐無稽にも思える。”Take me home...”と歌うけどあなた生まれた街から出たことないじゃん、みたいな。でもまるっきりウソと言い切るのはなんだか違う気がする。現実以上に「スリーコードの真実」が勝ってしまっている。メールを送って見つけてもらおうとかいうこともなく、ただ街の酒場で歌っていれば良いという考え方もなんだか面白い。「ジョニーキャッシュだって犯罪者だ!」という物言いにも現れているように、ローズは自分自身の「現実」を生きていない。だから、夢を諦めるとか現実を見るとかいう話ではなく「現実」の捉え直しの物語になっている。
単純にカントリーシンガーとして大成する物語ならアメリカが舞台でも良いし、もしくは渡米してメンフィスのおじさんから「ツテがある」と言われた時にそれを受けても良いわけです。なぜ母親に夢と金を託されて、子どもを再び置き去りにしてまで渡ったメンフィスをローズは去るのか。「スリーコードの真実」がそこにないとわかったからでしょう。自分はアメリカ人にはなれないし、ウェストヴァージニアやメンフィスが帰る場所ではないと思ったからグラスゴーに帰る。これは「メンフィスの人間じゃないのにメンフィスの歌を歌うのがリアルじゃない」みたいな話ではなくて、心の持ちようの話。帰る場所がどこであるかは忘れたらダメ、憧れの存在と自分の間にはきちんと線を引いておくべきだという話。ローリングストーンズが、チャックベリーやマディウォーターズを通してアメリカや黒人に対して抱いた憧れやコンプレックスもこうやって収斂していったんじゃないかと勝手に思った。
そういう精算をしないまま(もちろん他にもウソはあったけど)にクラウドファンディングでのし上がっていくわけにはいかないから、きちんとパーティはご破算にならないといけなかった。カタルシスを犠牲にしてでも、ストーリーを失速させてでも入れないといけなかったのはわかる。でもそこは残念ポイントでもあったかな。スザンナとの和解が解決しないといけないポイントとして増えてしまったはずなのに、「一年後…」で片付けるのはどうなのか。子どもとの関係修復も割とあっさりだったのが気になる。設定として子どもいらなかったんじゃないかなと思わなくもない。お母さんとの確執解消だけが軸でもよかったはず。とはいえ、自分も貧しい生まれでありながら、ローズの過去を掘り返して嫌がらせするスザンナの夫のように出自を否定する人もいれば、黒人ではあるけどカントリーミュージックに感動できるスザンナもいるという対比も素晴らしかった。「黒人なのにカントリー聴くなんておかしい」「英語わかんないのに洋楽聴いてるのはかっこつけだ」的なものの見方に対するアンサーとして、「メンフィスに行くけどやっぱり帰る」という展開は素敵だなと思う。
あとはこのキャンセルカルチャーの時代にローズがのし上がるのは、ラッパーとして以外は難しいんじゃねえかなと思わされる部分もあった。というかトランスジェンダー云々を失言とされたらラッパーでも無理か。そうした意味でこの映画、いかにクズであろうと才能さえあればスターになれた時代に対する「望郷」でもあるのかもしれない。グラスゴーでもメンフィスでも東京でも出発点はどこであれ、ローカルを超えて成功したいという目標を前科のある人が達するのは難しい、というのが現実だろうし。先に成功して後からバレるなら兼近みたいにダメージなしでいけるかもしれないけど。
いろいろ惜しい部分はあるけど、カントリー(カントリー&ウェスタンではない)に託された種々のイメージと、たるんだ体で歌いまくり、口角を片方だけ上げて笑うジェシーバックレイの歌声を味わうだけでも楽しめるかなと思いました。やりたいことはわかるし面白いけど、映画としてそんなに面白いかと言われるとスコアが伸びませんでした。