ナガエ

草間彌生∞INFINITYのナガエのレビュー・感想・評価

草間彌生∞INFINITY(2018年製作の映画)
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つい先日、草間彌生美術館に行ってきた。“生理的に”訴えかけてくる作品だった。

ここ最近、急激に美術館に行く機会が増えたが(というか、それまでほとんど行かなかった)、基本的に美術品を見ても、「よく分からない」と感じることが多い。「なんとなく好きだな」と感じるものも時々あって、そういうのを見つけられると嬉しいが、しかし、じゃあなんでこの美術品が良いと感じるのか、ということはほとんど言語化できない。

そもそも美術品というのは、ある程度知識を持っていることを前提に鑑賞する、という側面もある。そういう本を読んだことがある。「分からない」理由の一部は、「知識がないから」だ、という話だ。宗教画を見るためにはキリスト教の知識があった方がいいだろうし、現代美術の鑑賞には、その時代時代でどんな価値観が美術界にはびこっていて、その価値観を打ち破ったことに価値がある、というような捉え方をしなければ価値が伝わらないものも多い。

だから、「基本的にはよく分からないものだよなぁ」「知識をちゃんと持ってないし仕方ないよなぁ」という感覚を常に持ちながら、美術館に足を運ぶようにしている。

草間彌生美術館で感じたことは、それまで美術品に触れた経験とはまた違ったものだった。

草間彌生の絵を見ていて一番強く感じたことは、「生理的な嫌悪感」だ。「うわっ、なんか気持ち悪いな」という感覚が一番強くやってきた。それは、それまで美術品を見て感じたことのないものだった。

それが「嫌悪感」であるとしても、「生理的に」届くものは、凄く強い。あぁ、なるほど、美術品を見てこういう感覚があるんだと思ったし、恐らく、美術に関心を持つ多くの人は、僕が何も感じられない美術品からも、こういう「生理的な」感覚を得ているのかもしれない、と思った。

僕は絵を見ながら、「嫌悪感」の正体を知ろうとした。僕の感じ取り方は、「原初」を感じさせるモチーフが多いからではないか、ということだった。

僕が草間彌生美術館で見た絵には、「顔」「目」「細胞組織のような形」などが多用されていた。そもそも水玉模様も、「カエルの卵」や「細胞分裂した胚」などを連想させ得るだろう。そしてそれらは、生命の「原初」を感じさせるものだ、と僕は思う。




普段僕らは、生命の「原初」などというものについてあまり考えない。生や死など、生命の根幹を司るものは、日常の中でリアルさを失いつつある。出産は病院内で行われ、技術の進歩により、出産による死亡リスクも昔よりは大幅に減ったから、出産が死と隣り合わせであるというヒリヒリした感覚は減っているだろう。また、社会の中で死は巧妙に隠されるようになってしまい、そのことによって、ある種のタブー感さえまとうようになる。

そういう、「原初」に触れる機会が圧倒的に減った世の中で、芸術作品としてドーンと「原初」を見せつけられることで、「生理的な嫌悪感」が生まれるんじゃないか。

僕は草間彌生の絵を見ながら、そんなことを考えた。

さて、映画を見る前僕は、草間彌生についてほとんど知っている情報なかった。「世界的にも評価されている芸術家」という程度である。だから、勝手ななんとなくのイメージとして、「草間彌生は昔から世界的に高い評価を得ていたのだ」と勝手に思っていた。

しかしまったく違った。

なんと草間彌生は、1990年代頃まで、日本でも世界でもほぼ誰も評価しておらず、その当時既に「忘れ去られた芸術家」になっていた、というのだ。そのことに、僕は衝撃を受けた。なにしろ、戦後かなり早い段階でアメリカに渡り、様々に奮闘した挙げ句、性差別や人種差別のせいで成功できず、1970年代前半、失意の内に帰国した時、既に40代後半。この時点で、日本での活動は、まったくのゼロからのスタートだった、というのだ。よくもまあそんな状態から世界的な芸術家として評価されたものだし、そもそも、よくもまあ描き続けられたものだ、と感じる。

草間彌生は、長野県松本市に生まれた。種苗を行う旧家で生まれ育ったが、両親の仲が悪かった。婿養子だった父親は、そのストレスから女遊びが激しく、母親は草間彌生に、父親を尾行させていたという。草間彌生は「セックスが苦手だ」と公言しているのだが、その原点は、この子供時代の経験にあるのだろう、と語る者もいた。




またこの幼少期に、草間彌生の創作スタイルを決定づけた出来事がある。草間彌生は子供の頃から水玉の絵を書き続けていたが、母親はそれが気に入らず、度々絵を破り捨てたという。だから草間彌生は、「絵を早く描き上げなければまた破られてしまう」と考えたのだろう、という。草間彌生は、3日で一枚書き上げるペースである、「キャンバスの方が追いつかないぐらい」と本人が語っていた。

戦争を経て、草間彌生は、戦後相当早い時期にアメリカに渡った。芸術家に限らず、日本人としてはかなり珍しかった。彼女は、成功してやる、という明確な目標を持ってアメリカに渡ったが、しかし現実は相当厳しかった。当時のニューヨークでは、芸術家と言えば男性であり、女性が単独で古典を開くなど不可能だった。女性画廊でさえ、草間彌生に協力しようとはしなかったという。

そんな中でも、草間彌生は溢れる創作意欲でもって絵を描き続けた。それは、一部で大きな話題を生み出すが、やはり女性であること、そして日本人であることが邪魔をして、大きく評価されない。さらに、草間彌生が発表した独創的なスタイルを模倣したかのような男性芸術家の作品が世界的に高く評価されていく。それは本当に、屈辱的な経験だっただろう。彼女は、アトリエの窓を塞ぎ、アイデアが流出しないようにして創作を続けた。

それから彼女は、絵から離れ、「1500個のミラーボールをゲリラ的に美術館の前庭に置く」「裸のまま町でパフォーマンスをする」といった形で、自らの創作衝動を表に出すようになっていく。しかし、これはある意味で逆効果といえるものだった。アメリカでの彼女の“奇行”が、逆輸入の形で日本まで届き、「長野県の恥」「叩き殺せ」と言った激しい反応を引き起こすことになる。

こんな風にして、渡米してすぐに60年代に一部から受けていた「尊敬」は、70年代後半から80年代にかけては失われてしまっていた。40代後半で日本に帰国した彼女は、まったくのゼロから(というか、マイナスから)創作活動を再開する。

そこから彼女は、いくつかのきっかけを得て、世界的に評価されるようになっていく。そんな激動の人生を描き出す作品だ。

冒頭でも少し触れたが、やはり凄いと感じるのは、「それでもずっと描き続けている」ということだ。純粋に「描ければ幸せ」という人物なんだとすれば、当たり前かもしれないが、草間彌生は、描き続けたいという衝動と共に、成功するという強い野心も持っていた。彼女にとっての「成功」が、正確に何を意味するのか分からなかったが、ニューヨークで彼女は、画廊に飛び入りで絵を売りに行ったり、経済的に支えてくれるパトロンを探そうと必死になったりと、「成功」のために不断の努力をした。しかしそれは、彼女自身にはどうにもできない要素、つまり「女性であること」「日本人であること」によって叶うことがなかった。

その状態で、よく創作活動を続けられたものだ、と感じる。彼女の芸術家としての凄さについては、ちゃんと理解できている自信はない。しかし、「結局諦めなかった」という部分の、人間的な凄さについては、十分に理解できたと思う。

「諦めなければ夢は叶う」という言葉を、僕はまったく信用していない。「諦めないこと」と「夢が叶うこと」には、特に関係はない。しかし、「諦めれば夢は叶わない」は正しいし、「夢が叶ったのなら、諦めなかったということだ」というのも正しい。そして草間彌生はまさに、そういう人物なのだなぁ、と感じた。

草間彌生は長いこと、故郷である松本市を良く思っていなかった。そりゃあ、「迫害された」と感じても仕方ない扱いを幼少期からずっと受けていただろうから、仕方ないだろう。しかし、松本市に美術館が出来ることになり、そこに草間彌生の常設展が出来ることが決まると、草間彌生は、「やっと故郷に錦を飾ることができた」と語ったという。現在草間彌生は、世界で最も成功している女性芸術家だという。凄いものだ。

映画の中に登場する学芸員の一人が、草間彌生のある展示を見て、「ずっと見ていられる」と言っていたのが印象的だった。

僕もまったく同じことを、草間彌生美術館で感じたからだ。

「VIA AIR MAIL」と書かれたシールを、キャンバスいっぱいに貼り付けただけの作品がある。何故か僕は、この作品に囚われてしまった。自分でも、非常に不思議な感覚だった。一度その作品から離れ、別の作品を見るのだけど、どうしてもまた「VIA AIR MAIL」に戻ってしまう。別の階の作品を見た後も、また「VIA AIR MAIL」を見たくなる。芸術作品で、こんな感覚になるのは初めてだった。未だに、どうしてそんな感覚が生まれたのか、自分の中で説明ができない。

もうひとつ、面白かったことがある。草間彌生美術館の売店に図録が売られていて、その中に「VIA AIR MAIL」の作品もあった。しかし、それを見ても、先程作品を見た時のような衝動は現れなかったのだ。それまで僕は、美術作品なんか、別に写真とかで見て知識を得ればいい、と思っている部分もあったのだけど、その経験で考えを変えた。やはり、現物の前に立たないと感じ取れないものがあるのだなぁ、と思った。

そういう意味で、草間彌生は、僕の芸術に対する考え方・感じ方を変えさせてくれた人でもある。そんなタイムリーな時期に見たのもあって、自分の感覚に色々と突き刺さってくる、印象的な映画だった。
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