ひろあき

生きるのひろあきのネタバレレビュー・内容・結末

生きる(1952年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

美しく『生きる』とはどういう事かを描いた作品なら小津安二郎の東京物語の方が好きだし、リアルを『生きろ』って映画ならファイトクラブの方が好き。
この映画を例えるなら、それは道端に咲く一輪のすみれで、生活に根差した美しさがある。
だが恐らく、俺は非現実的な映画の方が好きだ。どうせ映画を観るなら原節子のような女性を見たいし、ブラッドピッドみたいなカリスマを期待してしまう。

ただ、ラストシーンは良かった。
渡辺が死んでも、役所も役人も何も変わらない。
酒の勢いで、渡辺の情熱が自分にも伝播したぞと熱くなった連中は、その後すぐ日常に戻って、典型的な縦割り行政のお役所仕事を再開する。深く薫陶を受けたように見えた木村も、そんな役人に何一つ文句を言えない。
ただ一つ、あの街には小さな公園が新しくできて、子供たちの幸せがそこに生まれた。それは渡辺にとって命を燃やすのに十分であった事実。
人生、何か大それたことを成す必要なんて無いし、見返りも要らない。人の幸せの為に汗を流すことが生きるという事なのだから。
この映画を観た我々だって同様、渡辺のように、いきなりバースデーソングが流れて生まれ変われるなんて事はない。生まれ変わるにはもがき苦しまなければならない。それもまた生きるということ。
ひろあき

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