イルーナ

ソウルフル・ワールドのイルーナのネタバレレビュー・内容・結末

ソウルフル・ワールド(2020年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

テーマが「生きる意味」「人生讃歌」で音楽がジャズ。
どこか大人の苦みを感じさせる、大変渋いムードのピクサー作品でした。

あと一歩の所でプロのジャズ・ピアニストになる夢をつかめないでいる、しがない音楽の非常勤講師のジョー。
やっと夢をつかもうとした矢先に、不慮の事故で生まれる前のソウルの世界に送り込まれてしまう。
そこで22番という、生まれることを何百年も拒み続ける問題児ソウルのメンター(指導者)になった彼は、何とかして現世に戻ろうとするが……

何度も言われているかもしれませんが、美術面は毎度毎度最高レベル。
現実世界のニューヨークは「何だ、ただの実写か」レベルで音や色合い、質感がリアル。街並みや雑踏とか、まるでそこに入るかのような没入感。
ソウルの世界「ユーセミナー」は、まだ形が決まっていないのを表現するふわふわした形状かつパステル調のカラー。
逆にそこのカウンセラー達はピカソの絵のようなキュビズム風というギャップ。

この22番、何をやっても生きる目的が見つからないという、本作に限らず多くの作品の主人公に共通している「夢を叶えるためにまっすぐ生きる努力家」とは真逆のキャラクター。
しかし周りは彼女を理解せず、ただ「人生のきらめき」を見つけろと強要するばかり。そりゃひねくれるよ……
そもそも「ユーセミナー」というのが、ポジティブであらねばならない、幸せであらねばならないとも取れるもの。人によっては不気味に感じるかもしれません。
さらにカウンセラー達は固有の名前を持たず、一律に「ジェリー」と呼ばれているのが象徴的。
生まれる前の世界が舞台ということで、宗教っぽい部分を極力省いても、どうしてもスピリチュアル感や啓発セミナー感が出てしまうのは致し方ないことか。

その22番が地上の世界に戻ろうとしたときの事故でジョーの中身になったことで人間の感覚を手に入れ、生きる喜びを見出していく。
人間には当たり前のことでも、ソウルである彼女にとっては何もかも新鮮。初めてピザの匂いや味を認識した時のリアクションと言ったら!
私たちも生まれてすぐのころは、何もかも新鮮に感じていたはずなのに。
(逆に言えば、「ユーセミナー」のやり方が22番と根本的に合っていなかったということに……)
たとえ夢や目標がなくても、何気ない日常を生きているだけで人生は無条件に素晴らしい。

逆にジョーは人生の目的がはっきりしているタイプですが、これまでの人生すべてをかけてステージに上がり、夢を叶えた途端、ふと我に返ってしまう。
夢を追うことは素晴らしいことだけど、それが人生の目的になると、いざ叶えた時にその後どうなるかをまったく考えていなかったことに気づく……
事実、初めてドロシアとセッションしたときは「ゾーン」に入っていたのに、本番ではそれが描かれなかった。
代わりに、自宅で22番のことや自らの人生を思い出しながら演奏した時に再び「ゾーン」に入る。
地位や名誉はあくまでも「人生のきらめき」を構成する一要素に過ぎない。事実、色あせていくものも少なからず存在する。
というか彼を含めてメンター達は、そのことを見落としていた。さらに22番を担当したメンターはこれまで教科書に載るレベルの偉人ばかりだったのが象徴的。
何かを成し遂げようとしている、あるいは成し遂げた人ほど、「何も成し遂げられなかった人生に意味はない」という考えに陥りやすい上に他者に押し付けがち。
有名人やスポーツ選手の名言集を見て共感できないことがあるのは、まさにそれの押しつけだからなんですよね……
22番みたいに飽きやすかったり諦めの速い人は、問答無用で「結局その程度の奴」とレッテルを貼られる。当たり前のように言われてるけど、すごい酷薄な言葉だよなぁと思います。
そして「人生のきらめき」の本質を悟ったジョーは迷子のソウルとして暴走していた22番を救い、カウンセラー達からこのまま生き続けることを認められる。

しかし『あの夏のルカ』といい、劇場公開されなかったのは本当に残念過ぎる。
音楽はもちろん、あの世へのエスカレーターのシーンなどは大迫力だっただろうに……!
劇場公開を見送った判断は絶対に間違っているとしか思えない。
エンドロール後のテリーのセリフも、この状況下だと寂しいものを感じてしまいます。
イルーナ

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