優しいアロエ

ガリーボーイの優しいアロエのレビュー・感想・評価

ガリーボーイ(2018年製作の映画)
4.2
「お前の言葉はお前が歌え」

 インドのスラムで暮らす青年。彼はラップに憧れている。貧しい生活、厳しい家庭。夢を見ている場合じゃあない。だが皮肉にも、逆境が重なるほど彼のラップは磨かれていく。反骨精神が原動力となり、ライムにも重みが増していくラップは、まさに貧しい人間の成り上がりを描くのにベストな題材だ。

 本作は非常に質が高く、見応えのある作品となっている。「貧しいが夢を追う男性&裕福だが外の世界に憧れる女性」という『アラジン』などでお馴染みな人物設定からスタートし、最高に胸熱なヒップホップ版『ロッキー』をやっていく。(勿論、ミュージック・ビデオ的特訓シーンあり!)
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 そして本作の白眉は、現代の理想とされる人間のあり方を説きながらも、旧来の人間のあり方を真っ向から否定することなく、絶妙に新旧を折衷しているところだ。

 たとえば、女性の描き方。本作のヒロインは、家庭の意向に仕方なく従い、形式的には“男性の選択を待つ”受動的な女性として描かれている。しかし実際には、機転を利かせたり、アグレッシブな行動をとったりしており、それが主人公の心を動かす結果となっている。
 昨今、実写化に伴うディズニー・プリンセスの造形改革もあってか、女性の描き方は現代向けに変わりつつある。しかし、ただ理想像を掲げるだけでは人の心は動かない。旧来のあり方も潜在的に踏襲し、地に足ついた理想を提示することで、地道ながら着実な変化が促されるのだと思う。

 新旧の絶妙な折り合いはほかにもある。たとえば、主人公はSNSや動画配信を通じて活躍の場を広げていく。頑固な父親に自分が夢を掴みつつあることを諭すシーンも、SNSを証拠にしている。このあたりは非常に現代的だと云える。
 しかしその一方で、インドの古いしきたりや考え方を頭ごなしで否定することもない。父親なりの考えも終盤に明かされるし、スラムに蔓延する軽犯罪にも納得させるものとなっている。また、主人公がラップの決勝に臨む直前には、宗教に則ったお祈りをしているし、母親にまじないのような腕輪をつけてもらっている。

 新しい生き方にシフトチェンジしたくても、私たちの根っこには古い部分が残っている。それを忘れてしまってはいけない。そして何より、こういった因習が主人公を育てたわけだし、厳しい家庭環境がラッパーに必要な無骨さを生んだわけだ。ラップの素晴らしさを謳った本作がそこを全面否定するはずがない。
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 このように、本作は色々な要素を纏め込む視野の広さを備えている。「現代的な映画」の教科書たる作品といっても過言ではないと思う。しかし、そのあまりの視野の広さに対し、私は途中でこうも思った。多少は『ロッキー』のような粗さ、インディペンデントっぽさがあったほうが、スラム出身の成り上がりモノとしては見合っているのではないか。スケールの小ささが功を奏す場合もあるのではないか、と。

 しかし、これが今、経済大国インドのつくる映画なのだ。『バーフバリ』のような一大スペクタクルならまだしも、低予算でもつくれそうな本作までここまで包括的な大作に仕上げてくる。ボリウッドのもつ力は、ハリウッドを凌駕しつつあるのかもしれない。それを示したという意味でも本作は紛れもなく「現代的な映画」であった。
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