LalaーMukuーMerry

ガリーボーイのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

ガリーボーイ(2018年製作の映画)
4.3
インドのヒップホップ・スター「ガリーボーイ」誕生の物語。実話だけあって描写がリアルで、すぐ陽気に歌いだすいつものインド映画とはちょっと雰囲気が違う。
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貧しい家庭で育った主人公ムラドは、「住む世界が違う」という考えを親からたたきこまれ、夢を追いかけることになかなか踏み切れない。同じ大学に通う彼女サフィナとの恋愛も、住む世界が違うから親には秘密のまま。彼女の家も、娘の結婚相手を決めるのは当然父親だと信じている親がいて、サフィナは裕福な医学生だけど自分の境遇に不満がいっぱい・・・
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インド社会の現実(広がる格差、古い家族制度の因習・悪弊、ズルい犯罪に走る仲間…)を背景に、主人公ムラドがヒップホップにのめり込み始め、新しい仲間によって世界が広がり、次第にスターになっていく過程が丁寧に描かれてます。その間、家族とけじめをつけ、恋愛も貫いていく。さわやかなラストでした。
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※ 映画の舞台(2013年頃のインド)
「Fact fulness」(ハンス・ロスリング著)によれば、「世界は先進国と発展途上国の二つに大きく分断されている」というのは1960年代の見立てであって、今は決してそんなことはない。むしろ経済指標(一人当たりGDP)で大きく4つのレベルに分けて考えるのがいいという。 
    一日当たりの収入(一人当たりGDPから計算)
レベル1 2$以下
レベル2 2~8ドル
レベル3 8~32ドル
レベル4 32$以上

今やレベル1の国の数はごく少なく、ほとんどの国はレベル2または3に属している。国や地域ごとの違いは、生活様式や宗教・道徳、その国の歴史・文化が原因と強調されがちだが、実はそれよりも経済状況による違いが最も大きな要因だという。同じ宗教でもレベルの違う国では相当違う生活をしている。同じレベルの国どうしでは、たとえ宗教が違っていても同じような暮らしをしている、という方が真実に近い。
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この映画の舞台、2013年頃のインドはレベル2の中ほど、一人の平均収入は1960年代前半の日本と同程度。だから当時の日本の状況を思い出しつつ(といっても私はその頃の記憶はほとんどないのだが)、描かれてないインドの状況を想像してもあながち間違いではないのだろう。当時日本は高度経済成長の真っただ中、洗濯機、冷蔵庫、TVが家庭に普及した「always三丁目の夕日」の時代だ。成長の最中には格差が開くのは当たり前、古い因習と新しい生活様式との矛盾も生まれたことだろう。日本では格差の問題はあったとしても、一億総中流意識をみんなが持っていたから(持たされていたから)、格差の意識はあまり大きくなかったのかもしれない。そのあたりは日本とカースト制度の因習が残るインドでは違うのかもしれない。
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もう一つ当時の日本とインドとの違いで決定的なことはスマホの有無でしょう。SNSがあったからムラドは世界とつながり、夢を追い続ける勇気を持つことができた。SNSのポジティブな面は確かにある。
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※ ヒップホップ
ヒップ・ホップというものを私はほとんど聞かない。音楽だけではなくアートまで含む広い概念のようだけど、ほとんど知らない。映画に出てくるラップバトル、相手を攻撃的にののしる感じで今にもケンカが始まりそうな緊張感があって、私はちょっと好きになれない(越えてはいけないルールは守られているのだろうけど)。それでもバトルではないフリースタイル・ラップの詩はいいと、この映画を見て思った。(韻を踏んだ歌詞をつくるのは難しそうですが)
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世の中のおかしいことを、おかしいと我慢せずにいうことは素直な感覚。世界中にヒップ・ホップが広まったのは極く自然なこと。(中国と北朝鮮で自由にヒップホップができそうには思えないけど・・・)