島袋健太郎

ソワレの島袋健太郎のレビュー・感想・評価

ソワレ(2020年製作の映画)
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主演女優の芋生悠がちゃんと脱いで濡れ場をやっている、ということを聞きつけての鑑賞。若い主演女優を脱がすだけの覚悟。
小泉今日子や豊原功補がどれだけの志で本作を製作したのか、と考えながら。

結果として、凡作であるが故の苛立ちが大きい。

性的虐待を父親に受け続けてきたタカラ(芋生悠)がその父親を刺殺。行きがかり上一緒に逃げることになった翔太(村上虹郎)の逃避行。
と。基本的にどこかで見たことあるようなストーリー。

全編を通して、どこかで見たことあるような展開だらけで既視感しかなく。
情緒的な展開の割に求心力のあるエピソードがなく、思わせぶりな展開が続く。

この手の役柄は他にも複数演じている村上虹郎も手堅いけれど、新鮮さはなく、実力的にはボンヤリしている芋生悠は健気に「体当たり」で演じているのはわかるが、説明的な演技を要求され過ぎていてもったいない。

先に述べたように芋生悠は、ヌードを披露しての「濡れ場」に挑んでいるわけだが、正直劇中にまったく不必要である。
新人女優を脱がすだけの必然や、丁寧さを本作の中に見出せない。
ましてや、虐待により剥ぎ取られた自己肯定感と、その回復を描く物語として、本作はまったくもってその「痛み」に対して無理解である。

「オレオレ詐欺の受け子」をやっている翔太、と老人介護をしているタカラのアンビバレントさは言及されず。
俳優志望という設定によってタカラの心が救済されているわけでもなく。
せっかく「マニキュア」を使った官能的な描写があるのなら、そこでタカラを欲情させるべきなのだ。

タカラが自発的に性に目覚めるからこそ、救済が生まれるはずなのに、物語はそこに一切踏み込んでくれない。

ただただラストに取ってつけたように、しかも後出しで「こういう風に繋がってたんです」「実は伏線だったんです」という、相変わらずの「伏線」や「映画的」表現に対する誤解によって生まれたラストでウンザリした。
映画が、出来事に対して起こる内容に対して実体験として感情移入できなくても、ある種の「痛み」対して物語が救いになる、という部分を軽視しているからこそ、腹立たしかった。