人の死にゆく様などなかなか知る機会はない。
昔はたぶん大家族ゆえに おじいちゃんおばあちゃんは自然に生活の中で当たり前に看取られていったんだろう。
子供らもなんとなしに『あぁ、一昨日まで話ができた人も、だんだん静かになり食べなくなり、息絶えていくんだなぁ』といったことを肌で感じ、その旅立つ人の手の冷たさに触れて 漠然と受け入れていくんだろう。
今は病院で亡くなる方が当たり前になってしまっている中、こんなに真摯に在宅医療に向き合っておられるチームがおられるとは…。いくつかのご家族を訪問される時の小堀先生、堀越先生の言葉かけが本当に温かくユーモアもあり。少しでも痛みを取り除き、安心してその時をむかえられるように、と、それを念頭においている、とおっしゃる。
近い将来、私は親を看取らなくてはならぬ年齢にさしかかっているのに、まだその瞬間がくることがいまだ恐ろしく内心おどおどしておる…。兄弟もいないし、自分がしっかりしないと、という気持ちと、ちゃんと見届けることができるんだろうかという気持ちの間でまるで熊のように相変わらずうろうろしておる。
情けない。けれども自分の子供らの顔を思い浮かべると、ちゃんと人の死にゆく様を看取る姿勢も伝えておかねばとも思う。
誰かから生まれてきた以上、必ず誰かの死には直面するのだということを。
世界中さがしたって大事な誰かを看取ったことがない人なんていないのだということを。
親を看取るならば順番としてはまだしも、このドキュメンタリーの中に出てきた、子宮頸がん末期の50代の娘を看取る70代のお母さんの姿は本当に辛かった。
毅然とされている表情にもみえるけれど覚悟されるまでの思いたるや計り知れない。
もし今、神様に人生最後の1つのお願いができるなら、絶対に私の命より先に子供たちの命を天に召さないでほしいということだけだ。
ドキュメンタリーの中で看取ったあと、残された家族にむかって堀越先生は
『人生の大事な時に縁あって関わらせて頂きました、ありがとうございました』と静かに語られていた。
なんという慈悲深い…。
私も同じように言葉を送りたい。
このドキュメンタリーを公開することに同意して下さった遺族の方々と監督へ
『スクリーンを通してご家族の大事な瞬間を体験させて頂き ありがとうございました』合掌
都内では上映館が少ないけれど、公式サイトをみると各地で自主上映会などもあるので、ぜひ若い人にもみてほしい。