梅田

死霊魂の梅田のレビュー・感想・評価

死霊魂(2018年製作の映画)
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1950年台後半に中国で起こった右派弾圧の中で、数千人の「右派分子」がゴビ砂漠の再教育収容所に送られた。数少ない生存者の証言を中心として、当時の死者(大半は餓死)の声なき声を浮かび上がらせるドキュメンタリー。

王兵監督の映画を観るのは初めてだったのですが、まぁなんでこんな長いか(500分=8時間以上ある)はすぐわかった。生存者へのインタビューでは、ほぼショットを切らず延々と30分も喋らせ続けるからだ。インタビュアーの質問も最低限で、とにかく無言の相槌だけで喋りたいだけ喋らせる。ある程度事前に調整はしているんだろうけど、「生の記憶をそのまま呼び起こして喋らせる」という形式にこだわっているようだ。話者の感情の揺れ動きを捕まえるというより、とにかく「言葉」を引き出し続ける。鎮魂というにはあまりにも饒舌で、時には武勇伝じみた語りも含まれる。中国共産党への怒りというよりは、当時の生活がいかに地獄だったか、それをわかってほしいという感じだ。一人およそ30分くらいかけて、何人もインタビューを重ねていく。
こうした手法をとるのは、「死者への慰霊の映像を映画にする」のではなく、「映画によって(観客に語ることによって)慰霊する」という志によるものだと思う。作中の話者はみんな、多かれ少なかれ何かしらの自己弁護を纏っている。

本作は三部構成になっているが、「この映画がどんな映画か」だけなら、第3部だけ観れば概ね把握できる。各部それぞれ冒頭と最後のテロップは全く同じものを使っていて、それぞれタイトルクレジットとエンドロールもあるし、第3部だけでも十分、映画の体裁は整っている。
では第1部と第2部にはどんな意味があるのかと言われれば、(通して観た人間の自己弁護じみてくるが、)やはりこの暴力的なまでの物量の持つ説得力が違ってくる、ということになる。この映画を全て見た人には、「250グラム」という数字が消えない刻印として残されることになるだろう。あるいは、「脱穀せずにヒエを食べると便秘になる」という知識が刻まれることになるだろう。インタビュアーの相槌をほぼ挟まずに喋るそれぞれの話者が、だいたい15分くらい喋ったあたりで一様に「死人が出始めた頃は木で棺桶を作っていた。死人が増えてくると藁の棺になった。もっと増えると毛布に包んだだけになった。」と語る状況に(誤解を恐れず言えば)異様な興奮を覚えるのは、第1部から通して第3部まで観た人間だけの特権だ。

インタビュー以外のシーンでは、第3部に出てきたお爺さんの部屋にあった、よく磨かれたピアノが非常に印象に残った。他の登場人物の中には「当時は地獄だったけど、今はそれなりの生活をして満足だよ」みたいな雰囲気の人もいたが、この人だけは本当に今もギリギリの生活をしているように見えた。なぜこの無骨な老人の家にピアノがあったのか。この映画では何も触れられなかった。

ランニングタイム8時間を超えたあたりから、最後のシークエンスが始まる。主観のカメラで収容所跡地の荒野を撮り続けるこのショットの迫力たるや。数歩ごとに人骨が転がっている砂漠。ここまで共に歩いてきた観客は、ここでカメラがもどかしいくらいにゆっくりとしか進まない理由をよく知っている。吹き付ける強風の音をマイクが拾う。無造作に転がっている遺骨の声を、私たちはすでに知っている。