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ラ・カチャダのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

ラ・カチャダ(2019年製作の映画)
3.0
【YIDFF2019:演劇は自分を客観的に見るツールだ】
台風の影響で延期になったエルサルバトル映画『ラ・カチャダ』。香味庵の打ち上げまでの丁度良い時間に延期されていたので挑戦してみた。

『別離』のエクタ・ミッタル監督もそうだが、山形国際ドキュメンタリー映画祭の国際的知名度はやはり高いらしく、本作のマレン・ビニャヨ監督も学生時代に本祭のことを知って、初長編作品を出品している。また『エクソダス』上映時には、イラン映画の大御所アミール・ナデリ監督も参戦していたり、そもそも海外からの参加者も多かったりするので、ひょっとすると東京国際映画祭や東京フィルメックスなんかよりも知名度高いのでは?と思ったりします。

『ラ・カチャダ』のマレン・ビニャヨ監督について少し書いていこう。彼女はエルサルバドルを拠点とするプロデューサーで2016年に制作会社La Jaula Abiertaを設立しています。そしてPBS Frontline、BBC News、CCTV Americas Nowなどで働いたキャリアを持っている。今回、デビュー作となった『ラ・カチャダ』は製作に14年の歳月がかけて作られた作品だ。《カチャダ(Cachada)》とはスペイン語で「逃げることのできない特別な状況」を表しており、心に傷を負った者たちの挑戦を描いている。

DVや貧困で心理的傷を負った女性たちのセラピーワークショップが発展して《カチャダ》という小さな劇団を作るところにまで発展する。本作は、その劇団が公演を行うまでを密着取材したものである。

本作に登場する女性たちは、皆DVや幼少期の虐待、貧困によって心に傷を負っている。それを演劇の中で即興的に吐露していく。DVを行う者、虐待をされていた頃の自分、子どもに暴力を振るう自分を子どもの視点で演じるといった演技をすることで、客観的に《自分》を捉えていく。そして、周りの仲間たちの受け入れの心によって心の膿を少しずつ出していくのだ。

しかし、このセラピーには倫理的危うさがあり、当事者とセラピスト双方も、その綱渡りな状況を理解しつつ、手探りで癒しを求める。

ウェンディはこう語る。
「自分が経験したものは人に見せられない」

またセラピストはこう語る。
「専門家じゃないのに、人のプライベートゾーンに立ち入って良いものなのか?」

こういった後ろめたさや、前に踏み出せない気持ちは、長年かけて培った信頼関係でもって打破される。ハグ等の肉体的ふれあい、どんな演技も褒めることで承認欲求を満たしていく様が説得力をもって《癒し》の手法を提示している。

そう、これは心理療法士や学校の先生、医療関係者にとって目から鱗な作品である。虐待されていきた者が、暴力は振るいたくないと思っていても自分の子どもたちに手を上げてしまう様子や、日々15$という僅かな日銭をやりくりして生きる女性たちの貧しさを井戸端会議的に話し、それを演劇に取り入れることで客観的に物事を笑い飛ばし、心を軽く豊かにしていく手法には唸るとこがあります。

ただ、そういった人の心理的変化を描いている作品にも拘らず、また14年の歳月をかけて製作されたにも拘らず、映像構成がとっ散らかっているように見えてしまったのが残念。

それこそ濱口竜介の『親密さ』のように稽古シーンを2時間描き、そこで形成された心理的変化を後半2時間で紡ぎ出すといった作りの方が説得力を持てたのではと思ってしまうところがあります。

と言う訳で、個人的に面白かったものの、惜しい!と思う作品でありました。
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