晴れない空の降らない雨

巴里の屋根の下の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

巴里の屋根の下(1930年製作の映画)
3.0
 ルネ・クレールによる最初のトーキー。軽い女を軽い男たちが取り合うだけのロマンティック・コメディで、洒落た雰囲気を楽しむもの。ふふっとなる場面も随所にある。
 どこまでいっても遊戯的な男女の恋愛模様と、それと対照させたかのような男同士の友情や義理堅さが印象的だ。このパターンはその後も受け継がれる。主人公は路上で歌を披露し楽譜を売って生計を立てているが、恋敵含めてほかの人物にいたってはスリや空き巣といった始末。しかし監督は、こうした下層の庶民たちに温かい視線を送っている。
 劇中音楽は、アコーディオンによる下町情緒たっぷりのもので統一されており、パリの庶民生活の雰囲気を伝えている。そして、この雰囲気を何より決定づけているのが、セットによって再現された下町だ。少しだけ歪んだ建物やこじんまりとした通りが、どこかおとぎ話めいている。そんな通りで、楽譜売りの主人公とアコーディオン弾きのもとに集まって合唱している住民たち。やや懐古的にも感じられる牧歌的な風景である。
 
 キャリアの途中でトーキーに移行した監督に顕著だと思うが、音の使い方に特徴がある。もっぱら音楽や効果音のためのトーキーだということ。セリフは抑えてあることである。これはサイレント期のドタバタ喜劇のスピード感を保つためだろう。ケンカをはじめ多くの会話が遠景や窓を挟んで撮られ、観客に声が聞こえないようにし、想像力を働かせることを促している。孤独で鬱屈している彼とヒロインとをクロスカッティングのシーンに、再会した2人の会話が被せるという少々意表をつく試みもあった。
 何にせよ、サイレント時代から活動していた監督たちは、会話の前面化が視覚芸術としての映画から何かを奪うと思っていたのは間違いないだろう。また、視覚的にも、クライマックスの決闘は障害物で遮られ、街灯が破壊されると真っ暗闇になって緊迫感を高める、という引き算の美学が現れている。