すー

夕陽のあとのすーのネタバレレビュー・内容・結末

夕陽のあと(2019年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

貫地谷しほり、山田真歩、ふたりの演技が素晴らしかった。

我が子を手放した母親と里親が、子供を巡って揉めるというパターン自体は珍しくなかったけれど、船の上でふたりの母親が対話してふたりで結論を出すのがすごくよかった。
というか、山田真歩演じる育ての母・五月が、社会から切り離されて適切なケアを受けられなかった貫地谷しほり演じる生みの母・茜になにがあったのか知る過程で、戸惑いや理解できなさを抱えながらも受け止めていくさまがよかった。

結末も、子供にとってどうするのが1番いいか考えて導き出したものと感じた。そこで関係が断絶されるのではなく、いつかこの人たちにとっての家族が形成されるのだろうと、希望の持てる結末。
一度手放したことはなかったことにはならないけれど、どんな人にも再生の機会は与えられるべきだと思う。
それに、現実社会ではどんなに愛情のない親にも会う権利が与えられたりするのだから、子供を愛している母親がふたりとも会えたっていいじゃないかとも思った。もちろん子供の精神に負荷をかけないことが大前提ではあるけれど。

子供への負担と考えたとき、すでにこのふたりは大人として不十分な対応だったなとは思う。子供に気を遣わせて、ゆるすようなことを言わせるのも演出としてはわかるけれど、グロテスクではある。
それからなんていうか、やっぱり男親の影が薄すぎる問題。里親役の永井大は愛情を持って子供に接していることがわかったけど五月に比べると影が薄いし、茜の元夫に関してもDVの糞野郎で片付けられてしまっている感がある。母親にばかり子供に対する責任を負わせる現状があるなかで、更に母親神話みたいなものをふりかけてしまっている気もする。責められる度合いや子供への執着のようなものが、茜と五月により求められてしまっている。

あと途中、茜が、もう一度母親になりたいと取り乱したとき、以前から茜に好意を寄せていた男が自分と一緒になろうと言い出すシーンが気持ち悪すぎた。
男は里親の親戚で、手放した子をそばで自然に見守るためにっていうニュアンスだったけれど、本当に考えてることが浅はかで気持ち悪いなと思った。だれもそんなこと望んでないし頼んでもいないのに、自分がなんとかしてあげるつもりでいるの、なにもわかってない奴すぎる。
悪い奴じゃなさそうなところが変にリアリティがあってげんなりした。
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