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海辺の映画館―キネマの玉手箱のLudovicoMedのレビュー・感想・評価

3.0
<映画怪獣大林宣彦が生涯かけてあなた(観客)に託したモノ>

アバンギャルドを極めし映画怪獣大林宣彦監督は、2010年代に入ってからもやんちゃ度を増して大暴れ。『この空の花 長岡花火物語』から始まる戦争3部作は目を疑うような実験映画、奇々怪界な映画技法で観る者を呆然とさせるスタイルを編み出しました。

そんな大林監督は前作『花筐/HANAGATAMI』製作時に余命を通告されるも不死鳥の如くガンに打ち勝ち、映画史レベルでも前代未聞の"時をかける遺言書映画"を創り上げました。

今回のプロットは『ラストアクションヒーロー』方式に戦争映画連続上映の中に吸い込まれ、戦争の歴史をタイムリープしながら、映画史と戦争を走馬灯の様に旅していく。
相変わらずながら、映画技法のおもちゃ箱をひっくり返した様な過剰なギミックはもはや脱構築ならぬ「オレの考えた映画の概念」レベルです。
それの最大値は、本作のオープニングでしょう。ゴダールもびっくりなめちゃくちゃ感と手数+早口の情報量にいきなりノックアウト。

そして舞台となる瀬戸内キネマが大林宣彦の失われた映画館いや、"映画感"が如く、自らの映画史ノスタルジーシネマな側面が浮かび上がる。劇中でも何度も話題に上がるように、大林宣彦自身の映画人生が投影され、更に"若き大林青年"こと馬場毬男を主役に置くことで、不思議なメタ空間を観客は彷徨ってしまうのだ。

大林監督は常々「映画とは絵空事にすぎないんだよ」と虚構さを強調する作家であるが、今回は瀬戸内キネマで映画を上映する者、鑑賞する者の姿を写し、映画と観客の構図を考察した上で、我々に虚構(ニセモノ)から未来を託してくる。本作が幕切れる時大林監督は肉声で「ご覧になった皆さん、ここではthe ENDではなく一旦"中断"とさせていただきます」と囁きかけ、過去(歴史)のタイムスリップの旅行を終えた我々に、これから始まる歴史(未来)はあなたが創っていきなさいと最期の言葉を語りかけてくる。

そんな大林監督からの贈り物は涙なしに見られない訳ですが、、、。

残念ながら、自分には少々説教臭く感じる部分と、どうしてもこの空の花のぶっ飛びっぷりと比較してしまうあまり、前衛の総括を見ているような印象でした。
ひたすらアンチプロパガンダを唱えようとするクドさが自分にはダメだった。
いや、大林監督のフィルモグラフィが強烈すぎるが故にだろうが。

それでも本作は、戦争3部作が実は遺作を意識して遺言書のサブプロットが込められていた3作品に比べ、圧倒的に遺言書であった。
スコセッシはギャング映画の観点で、自らを彩った映画人生を投影させ、その先に終活を紡ぎ出す『アイリッシュマン』を創り、ゴダールは紙芝居の時代まで語り口を遡り、無限の映画アーカイブから未来に向け『イメージの本』という名のファウンドフッテージを発表した。

映画とは、常に新作が封切られ、過去のモノとしてアーカイブされていきますが、大林監督は、どの時代から鑑賞しても、未来人であっても『あなた』に語りかけるメッセージ性に感動しました。
最後の最後まで、日本映画史に大事件を巻き起こす大暴れな監督へ

「とびっきりの玉手箱をありがとう、本当にお疲れ様でした」
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