みかんぼうや

スミス都へ行くのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

スミス都へ行く(1939年製作の映画)
3.7
【アメリカ政治版“半沢直樹”!権力者たちの圧力に屈さず“大義”を貫く理想の政治家像を描く!】

大好きな「素晴らしき哉、人生」のフランク・キャプラ監督の同じく大名作として名高い本作。主演も同じジェームス・ステュアート。本作と「素晴らしき哉・・・」の両作を観て強く感じたのは、フランク・キャプラは、徹底して“正義と大義”を信じ、重視していることだ。大きく異なる設定の2作だが、主人公がこの“正義と大義”のもと、我を顧みず進み続ける姿は非常に似ており、それは監督の信条であり、観客に伝えたい一つの大きなメッセージであることは容易に想像がつく。

ボーイスカウトのリーダーとして子どもたちから絶大な人気を集めていたスミスが、とあるきっかけから上院議員に指名され、ワシントンDCで行われる議会でとある法案を起案するも、利害関係者たちから強い圧力をかけられ・・・というストーリーは、米国議会を舞台に「言論と思想の自由とは?」「民主主義における大義とは?」を問いつつ、アメリカの政治家に求める理想像を描き出す。

そんな“大義”をより際立たせる手法として、周りの権力者から強烈かつ理不尽な圧力をかけられる状況が映し出され、分かりやすいほどの“勧善懲悪”で見せていく展開、その巨大なる敵に折れぬ精神力でぶち当たっていく姿は、アメリカ政治版“半沢直樹”的だ(”倍返し”感はないけれど)。

これまで観てきた映画でも政治と利権をテーマにした映画は数多くあるが、それらはマフィアによる殺し合いや殺人事件が話の中心になっていくことが多く、本作のように徹底して“議会”と“憲法”を中心に描いた作品は意外と少ないのではなかろうか?それ故に、序盤から中盤過ぎまでは物珍しさと先の展開が読めない故の面白さがあり、かなり引き込まれた。

が、後半は「なるほど!」という解決策が待っているというよりは、粘り腰の根性論に終始した感があり、予想外の展開と動きはなく、語り草となっているラストの演説シーン以外は、個人的にやや失速気味の印象あり。

とはいえ、悪い権力者たちの圧力に屈せず、「人民の人民による人民のための政治」というリンカーンの言葉、そしてアメリカ合衆国憲法をもって、“義”を貫き通そうとするスミスの主張には、やはり信念を持って正義のために生きよう、というとても強く前向きなメッセージを感じた。

“自由の国アメリカ”の主張、民主主義を礎とするアメリカ合衆国憲法賛美がやや色濃いのも事実だ。が、日々の仕事において、意志を貫くことの大変さを意識し、周りのことを気にし過ぎ、今後の自分の立場を考えて、“大義”を軽視し妥協してしまうことが少なからずある中で、“義”をもって一人立ち向かうスミスの姿には、やはり心震えるものがあった。
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