狭須があこ

1917 命をかけた伝令の狭須があこのレビュー・感想・評価

1917 命をかけた伝令(2019年製作の映画)
4.3
「パラサイト」ではなく、こちらを…。

…とは言いませんが、こんなに映画を頑張っている作品、私なら選ぶけどね。
何にとは、言いませんが。

奇しくも「ドラゴンクエスト ユアストーリー」がブチ壊したフィクションを「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」が再構築したように。
「キャッツ」に感じた不満を、この映画が回収してくれました。同じ年によくこれが来るもんだね

実際に完全ワンカット映画ではありませんが、それに見える画を作り出したことで完成していたのは、まさしく「映画」そのものでした。
キャッツに足りなかったの、これ!!
映画を撮る意気込み!!

さっきまで生きていた人間が死んだ瞬間、スッと背景になる。そのまま場面転換もなく、同じ世界に存在しながら遠く離れて、消えてゆく。
その逆に、さっきまで背景だった場所は、自分が近づくごとに死んだ人たちの姿になる。

生きている世界と、死の世界は繋がっている。
舞台上のすべてでしか世界をあらわせない、演劇という媒体に引導を渡す「カメラワーク」という、映画にのみ許された手法!!

超絶!!映画!!(大興奮)

たまたま研修で今、東京に住んでるので、どうしても日本一デカいスクリーンで見たくて来ました。撮影・音響・視覚効果。なるほど満足できました。
ただ、「ダンケルク」のリアリティを想像して来た身としては、近いようで遠かった

私たちがダンケルクで見たものは兵士の視点そのものでした。あの映画で私は、兵士の一人だった。
でも1917で見たものは、兵士の顔。震える手、友の腹から流れ出る血。私たちはカメラをぐるぐる回しながら、走る兵士をずっと追っているのです。

だから狙撃をされても、人が死んでいるのを見ても、あまり怖くはなかった。
ただ、彼らに休んでほしかったし、おうちに帰ってほしかった。お風呂に入って手当てして、お布団で寝てほしかった。

この映画が私のところに持ってきたリアリティは、戦争の恐ろしさではありませんでした。
「死ななかった」兵士のリアリティです。

ふつう、死にたくなかったらどこかで足は止まるわよ。死と生の差のない場所を全力で走っていたら気づかないかもしれないが、生きているのは誇らしくて、運が良くて、大事なことだよ。

大変だったね。頑張ったね。
あなたがまだ死んでないこと、とてもよかったと思ったよ。これからは、頑張って生きようと思ってね。

戦争映画は似たような画を描くことになるだけに、監督の描きたい物がめちゃめちゃハッキリ出るよなぁ~
重たいテーマにどう向き合おうとしてるのか。見るたび新鮮で、興味深いジャンルだなぁと思います。
狭須があこ

狭須があこ