マーティン・エデンの作品情報・感想・評価・動画配信 - 46ページ目

「マーティン・エデン」に投稿された感想・評価

このレビューはネタバレを含みます

文化中心主義啓蒙主義者のマーティンが、生まれた階級に跳ね返される映画
教養をつけても上流階級からは「社会主義者」と罵られ、下流階級には本を燃やされと踏んだり蹴ったり。
教養主義的側面は1900年代初頭から世界的に広まったものだが、結局教養のない奴に教養主義を訴えることの無意味さみたいなものを感じちゃってそら自殺もするわなと
特にイタリア特有の貴族的階級がまだまだ色濃い時代にそれを描くとより浮き出てくるってものよね。
えーなにすごいおしゃれー✨ルカ・マリネッリの画力半端ないわー!と呑気に観ていた前半。
恋から始まった文学への夢が現実となり、富も名声も手に入った時に見えてくるもの、感じるものの重みに押し潰されそうになった後半。

最初の方は、マーティンがポスターの印象と違うなーと感じていたけど、そりゃそうだなと観終わって納得。
映像も音楽も、美しくておしゃれで印象的なので、何度も観たいというか、ずっと観ていたいという感覚になる作品だった。

実に濃厚な2時間に大満足!👏
やや

ややの感想・評価

3.5
映像が素敵だった、どうやらフィルムで撮影したとのこと。

彼は、勉学に憧れ、上流社会に憧れ、彼女に恋するようにそれらに恋していた。そこまでの努力は、労働者階級から抜け出して登っていくには、ただの努力にとどまらず、こうやって、恋するように努力しないと抜け出せないのかな~なんてぼんやり考えた。

アーガイブ映像とピアノの旋律、そして、ルカマリネッリの熱演が印象に残った。特に憔悴していく後半は、苦しく心配になってしまうほど。

多少汚くても魂のある映画を作りたかったという言葉、この映画は、ナポリでも日本でも取れる普遍的内容という言葉、そして、フィルムは「富士フィルム」とこの映画もフジで撮りたかったーーっていう監督の言葉が記憶に残っている。富士フィルムさん、是非、ご検討を(笑)
chas

chasの感想・評価

-
ルカマリネッリの圧巻の演技。上流階級の女性に恋し、作家を目指していく…時代背景が古いため辛いなと思えるシーンもあったり、タイプライターが響く音が素敵だったり、アーカイブ映像が心情を表しててよかった。じっくり再鑑賞したい
✏︎2020.8.18
む

むの感想・評価

4.6
栄光を求めていたもののいつの間にか資本主義に飲まれていくルカ・マリネッリの演技がとてもよかったです。

元船乗りだからかドビュッシーの曲がありましたが、映画によくあっていたと思いました
オンライン試写にて鑑賞。
とても…良かった…………。‪これは確実に私的年間ベストに入ってくる作品だ…。

ナポリの労働者地区で育った船乗りであるマーティン(ルカ・マリネッリ)の、目を輝かせ楽しみながら知を探究する姿は胸にくるものがある…。知識・教養を身につけていくほど、虚偽に満ちた、空虚に満ちた世界を知ってしまう過程がとにかく切ない。

イタリアの”赤い二年間”に”黒シャツ隊”に”鉛の時代”と、1910〜20年代だと思いきや60〜70年代を彷彿とさせるシーンも出てきて、一体いつの時代を描いてるのか分からなくなるのが、逆に良い。明確な時代設定をしないことで、この作品がタイムレスな物語であることを描いた、というアフタートークでの監督の言葉が心に残る。
あんこ

あんこの感想・評価

4.0
ハリソン×ワンちゃんでお馴染み「野性の呼び声」の作家ジャック・ロンドンの自伝的小説をイタリアを舞台に映画化!

貧しい船乗りマーティンが身分の違うお嬢と恋におち更に作家も目指しお嬢と近づくため独学で勉強したり恋愛マジックにかかるんだけど、後半待ち受けてたものに…もうマーティン!!泣 、て叫びたくなった濃密な120分の大人な映画でした!

あんこぶつけたろか!
[世界は私より遥かに強大だった] 40点

ジャック・ロンドンが1909年に発表した半自伝的小説『マーティン・イーデン』が、ドキュメンタリー作家ピエトロ・マルチェッロの初劇映画『マルティン・エデン』として再び世界に姿を表した。同作は20世紀初頭のアメリカはサンフランシスコで、ある青年を助けたことをきっかけに上流階級の女性ルースに一目惚れした水夫マーティン・イーデンが、粗野な自分を大改革しながら彼女と釣り合うように知識と教養を蓄え、遂には作家として上流社会デビューを飾り、その過程で格差社会など社会問題への言及や空虚な上流社会への幻滅を描いた小説である。その三度目の映像化作品である本作品では舞台が60年代、テクノロジーが50年代、ファッションが20年代か70年代など時代設定がチグハグで、20世紀という100年の中で特徴的で扱いやすい要素をそれぞれつまみ出して平均化するという奇妙な手法を用いて、原作小説にマルチェッロ味を付け足そうとしている。

本作品の(途中までしか読んでないけど原作も含め)中心にあるのはルース、基エレナ・オルシーニへの恋愛感情の変遷である。一目見ただけで身の回りにいる女性と全く違う気品を漂わせる彼女に惚れてしまったマーティン、基マルティンは粗野な自分を恥じて勉学に励み、酒や喧嘩などこれまでやって来たことと真逆のことをして少しでも上流階級に近付こうとする。しかし、出会った瞬間の象徴的な、"(絵画に対して)遠くから見ると美しいが、近くで見るとただのシミのようだ"という言葉が暗示するように、マルティンはエレナのことを理想化した"妖精"としか見えていなかったことが露呈し始める。

それと交差するように登場する社会主義者のラス・ブリセンデンの話は、ロンドンの原作小説とほぼ同じ話をしているのだが、舞台(60年代)とテクノロジー(80年代)から完全に分離してロシア革命以前のような社会主義への幻想的な目線を持っているのだ。これらトンチンカンな改変によって、全体的なピントがブレまくっているようにも見えて、ロンドンが描いた時代から100年経っても"上流階級"の欺瞞は変わっていないことを示そうにも、時代設定のチグハグさから同時代の社会への批評性すら失っており、刃先が鈍らになってしまっているのだ。

それでも興味深い点がいくつか残されている。独学で映画製作を学んだというマルチェッロがマルティンに自身を重ね合わせているのか、彼の物語にはアーカイブ資料映像や他の古い記録映像の断片がサブリミナル的に紛れ込んでいるのだ。これは20世紀への一般化であるとともに、彼がドキュメンタリー作家であった頃の面影を如実に感じる手法だろう。前作『失われた美』の幻想的な描写を踏襲した Francesco Di Giacomo と Alessandro Abate のレトロな発色の画面は確かに美しいし、マルティンを演じたルカ・マリネッリの力強い目線をゴツゴツした身振りにはマーティン・イーデンその人が見えているような感動を覚えてしまう。

追い求めてきた目指すべき場所が幻想で、帰る場所も失ったマルティンは、現実世界のロンドンと同じ解決策を採る。そもそも原作も苦手で、半年で60ページくらいしか進んでない(私の中のマーティンは未だにルースにもう一度会っていない)ので、内容的に原作を忠実に辿っている本作品にピンとこないのは必然なんだろうが、それにしたって改変してまで20世紀を横断させる意味が理解できなかった。
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