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異端の鳥のumisodachiのレビュー・感想・評価

異端の鳥(2019年製作の映画)
3.9


ホロコーストから逃れるため田舎に疎開した少年が、次から次へと苦難に遭遇する過程を描いたチェコ・スロバキア・ウクライナ合作映画。ベネチア映画祭ユニセフ賞受賞。上映時にはあまりの残酷さに途中退出者が続出したという問題作。

家族から離れてひとり老婆の家に暮らしている少年。老婆がある日病死してしまったので、少年は旅に出る。行く先の村では悪魔の使いだと袋叩きに遭い、次から次へと少年を苦難が襲う……。

少年の保護者となるそれぞれの大人の名前が付いた9章から成る寓話的ストーリー。場所は東欧のどこか。時代は第二次世界大戦中らしいがハッキリしない。語られる言葉は人工語?らしく、特定の民族に限定されない作りになっている。

少年はそれはもう悲惨な目に遭いまくる。村人たちからボコボコにされ、大病を患い、地面に埋められカラスに襲われ、目の前で何人もの大人が殺されたり自殺したり。あげくの果てには性的虐待にも遭う。この世の地獄を煮詰めたような苦しみがひたすら続く。

私はカトリック系の学校出身なのだが、そこでは毎朝讃美歌を歌うという習慣があった。暗記してしまったいくつもの讃美歌の中に、こんな歌詞があった↓

いばらのかむりおしかぶされ
きびしき鞭にはだはさかれ
血潮ながるる主のみすがた
痛ましきさま誰のためぞ

きのうにかわる主を取り巻き
ののしり叫ぶ憎む群れを
つねに変わらぬいつくしみの
まなざしそそぎ許したもう

「いばらのかむり」というこの讃美歌は、十字架を背負ってゴルゴダの丘を登るイエスの様子を描いている。『異端の鳥』で少年が歩む道程はこのキリストの受難を彷彿とさせる。ある章までは頻繁に十字架がスクリーンに登場し、途中で出会う神父は彼に「お前はイエスと同じような受難を味わってきた」とそのものズバリの言葉をかける。この神父との別れまで少年は祈りの心を失わず、「正しい」倫理観の元に行動する。

しかし、この神父の葬送のミサで彼は失敗し、教会から叩き出される。キリストの受難と同じ道程を辿り神の国に近づいていたはずの少年は教会を追放され、いわば堕天使となる。ここから先は1シーンを除いて十字架は登場しなかったと記憶している。そして、山羊が出てくる。キリスト教において、山羊はしばしば悪魔の化身とされる。少年は神の道ではなく、悪魔の道を突き進みはじめるのだ。

少年は前半で散々見せつけられた人間の醜悪さを自ら体現していく。嫉妬に狂い動物を傷つけ、遂には人の命まで奪う。後半で唯一出てきた十字架に向かって少年は沈黙を貫き、神に背を向けるのだった。(なお、映画の中では最後の瞬間まで少年の名前は明かされない。いわば自らの名を失っている状態にある)

本作は、人間の「悪」をこれでもかと描き続ける映画だ。彩色された鳥が群れの中で攻撃されるように、少年は異物としてあらゆる場所で迫害される。迫害され傷つく者が行き着くのは、「傷つかないように自分から攻撃する」道しかない。キリストではないので、「つねに変わらぬいつくしみの まなざし注ぎゆるしたもう」と簡単にはいかないのだ。(なんせ、イエスですら簡単には赦せなかったんだからね!←ゲッセマネの祈り参照のこと)

最初はおとぎ話か神話のような雰囲気ではじまった旅路は、ナチスや神父、ロシア兵が出てくと徐々に今の世界と地続きになっていく。ロシア兵に言われた「目には目を」が少年の心に深く刺さり、彼は拒絶と攻撃の鎧を身に纏う。異物として攻撃されたら、相手を攻撃すればいい。躊躇なく引き金に指をかける少年を、誰が責められるだろうか?

しかし、本作は絶望だけの映画ではない。最後に少年は赦しと共に自分の名前と言葉を取り戻す。人間は簡単に悪に堕ちるが、赦し赦されることだってできるのだ。神の国に向かって受難の道を歩み、神の国から追放され悪魔に魅入られ、最後に赦しを覚えて再び神に向き合うことになる。このシンプルな道のりを、これでもかという映像美と語り口で見せつける傑作。

こんなに残虐なシーンばかり撮影して、少年のメンタルは大丈夫だったのか?と心配したが、エンドクレジットに「性的な場面は大人のダブルを使った」など撮影時の配慮について丁寧に書かれていたので安心した。というわけで、描写のわりにしんどさは感じなかった。なんなら『怒り』の性暴力シーンや『mid90s』の性的なシーンの方がダメージが大きかったくらい(未成年者本人に演じさせていたから)。

また、今回はキリスト教を軸にレビューを書いたが、おそらく東欧の歴史を軸に読み解くこともできると思う。いろいろな解釈を可能にする作品。

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