翔海

マリッジ・ストーリーの翔海のレビュー・感想・評価

マリッジ・ストーリー(2019年製作の映画)
3.7
これまで過ごしてきた日々を振り返り、終止符を打つ。

NYで舞台監督をするチャーリーと舞台女優のニコールは結婚生活にピリオドを打とうとしていた。二人の間には息子が居て、父のチャーリーは子煩悩であり料理から掃除まで家事の全般ができるし、親権は譲りたくはなかった。母ニコールも気持ちは同じであり、話し合いを望んでいた二人であったが弁護士を必要となるまでに事は進む。弁護士たちは何としても自分が弁護する側を勝たせる為にあの手この手を使って、相手の弱みを見つけては突いてくる。そんな茶番に疲れきった二人も次第にストレスから言い争いになる。これまでの結婚生活の鬱憤や不満をぶつけ合い、思っていないことまで口走ってしまう。修復は不可能に近い二人。果たして和解し、この争いにピリオドを打つことができるのであろうか。

昔を振り返れば楽しい日々だったはず。
冒頭にお互いの長所を言い合う場面があった。長所を理解しているって言うことはお互いのことを知っているし、興味がありもっと知りたいという気持ちがあったから、たくさんの長所を知っていたのだと思える。けれど、順風満帆に見えた結婚生活にも日々の不満や一度の過ちから終わりを迎えることに。一度でも嫌いになった相手のことを許し、また元の生活に戻すことはできるのであろうか。私はそれは無理だと考える。心のわだかまりは許したことによって消える訳では無いし、傷というものは根深く、心の奥底で疼くだろう。そんなものを抱えて平然と生活できるわけが無い。私も一度でも人を嫌いになると許すまでに時間がかかるし、表では平気な顔をしていても心のどこかでは一定の距離を保ってそこからは近づこうとはしない。それくらいに心の傷というものは相手への信頼を奪うものだと思う。この世には色んなタイプの人間が存在するけれど、私のようなタイプの人間が存在してもおかしくないと思うし、もっと楽観的な考えの人間もいるはず。それはどちらかに寄せなくてはいけないのではなく、自分を理解してくれる人と人付き合いをしていく道があるし、それも個性だし治す必要もないと考える。

話し合いで済めば裁判なんて必要ないのに。
子供の親権を争うために大金を支払って裁判になることは他の映画を見ていてもあることを知り、離婚後の裁判では一般なことであることを知った。これまでも映画から知識を得ることはしばしあるが、家庭内のいざこざすらも裁判をすることがあることを映画から知ることになった。なぜ、このことに引っかかったかと言うと私の母はひとり親で姉と私を育てた苦労人であり、その過去に亡き父と離婚の際に裁判をしたことを少し話に聞いた事があったからである。詳しい内容は知らないし、母もこのことや父のことをあまり話したがらないから映画から想像するしかないのだ。私が9~10歳頃に父は亡くなり、思い出も少なく、父は職を転々としては酒やタバコ、ギャンブルに走るクズ人間であった。母も愛想が尽きて離婚に踏み出したんだと思う。その後、父は自暴自棄になっていた時期もあって、自宅の風呂場で練炭自殺を図ったこともありそれを発見したのもまだ小学生だった私と姉である。その時はそれが自殺をしようとしていたことも知らなかったし、大人になってから知ることになる。父も離婚を告げられて相当堪えたのだと思う。母も心に傷を負って許せなかったと思うし、その判断は賢明だと思う。母と姉は父を許してないと思う。けれど、私はそんな父のことを嫌いにはなっていない。私の父はこの世に一人だから。それに父は躾に厳しく、子供に嫌われても良いからと言っていたと聞いたことがある。それからもう十数年は経って、記憶の片隅に父のことはあるし、父のことを嫌っていた姉もたまに墓参りに行ったりもしているし、こんな父でも私の家族は愛しているのだと思う。
翔海

翔海