こうん

マリッジ・ストーリーのこうんのレビュー・感想・評価

マリッジ・ストーリー(2019年製作の映画)
4.7
ノア・バームバックのNetflixオリジナルである新作映画は〝結婚物語〟とありながら実際は1組のカップルの離婚へ至るまでの七転八倒劇でした。
ディボース・コメディっすね。

そういう意味では「クレイマーvsクレイマー」の現代版と言えそうなんだけど、楽しい楽しいユーモラスなコメディかと思っていたら「レボリューショナリー・ロード」とか「ブルー・バレンタイン」のような夫婦冥府魔道映画の系譜も担っていて、けっこうザクッと突き刺してくるようなドラマに転換していって、温もりを感じながら思いがけずビターな感傷を引き摺って家路につくことになる作品になってました。

そこが…よかった…!

そのビター感に身に覚えがあるし、なんならウチの台所にも転がってるかも…
冷蔵庫開けたら冷え冷えでコンニチワしてくるかもしれない、そんな卑近なビター感が詰まりまくってます。

好きになって一緒になったはずなのに、一緒になることで封じた思いや一緒になったことでまた新たに生まれてしまった思い、それらがなぜか2人の間にグイグイ入り込んで距離を作っていくんだ。
その思いというのは他でもない、”私はいかに生きるべきか”という存在理由への希求なんである。
…厄介だ。

ふたりは生じてしまった距離をなんとかしようと一緒に過ごした年月を振り返り、突き詰めて考え直すと、好きになった時点で実は詰んでた…ということに気付いてしまう。
そして「なんでこんなことになってしまったんだろう…」っていうね。
かつての幸せなひとときには「二人でひとつ…」くらいに一体感を感じていたのに、決定的に別の人間であることが露になってしまう。
好きになって一緒になったはずだし、今でも根っこでは好きなはずなのに、なぜ罵ってしまうのだろう。
この「マリッジ・ストーリー」は、離婚過程の中で、一つの人生の中に、二つの人生が浮かび上がってくるドラマであるんだな。

本作の白眉であるニコールとチャーリーの建設的な話し合いからの罵り合いは、まさにそんな感じで、「おまえなんかトラックにはねられてしまえ!」と言った刹那に泣き崩れるチャーリーとそんな彼をわかって手を添えるニコールの姿に、もう戻れないどうしようもなさが炸裂していて、ちょっと胸に迫る名シーンでしたね。

そしてその二つの人生は接近こそすれ、交わり合うことは難しい…
できるのはほどけた靴紐に気付いて結んであげる/もらうことくらい…泣くよ!

僕もこの結婚生活の中で、妻の望む人生を歪めてしまってるのではないかと怖れているし、彼女も僕に対してそう思っていると思う。
それをなるべくすり合わせていくことが大事だと思うんだけど、本作のニコールとチャーリーに起こったことの種が、僕たちの毎日にも確実にあると実感しながら、努力している。

…しているけど、勇気を出してこの映画に誘って一緒に観た妻の鑑賞後の顔を観ると、俺は努力が足らないようだ。

なんか鏡を見ているようで、しかしそれでも愛さずにはおれないような映画になりましたね…この心に刺さった棘はしばらく抜かずにこの痛みをしばらく愛でたい…そんな気持ちです。



とかなんとか書いていくとシリアス一辺倒な映画に思えるかもしれないけど、トラジコメディ特にコメディ要素もふんだんにあってめちゃ楽しかったです。
もろ肌見せたがり弁護士ローラ・ダーンや、いてまえ精神丸出し弁護士のレイ・リオッタとか、そのあたりの皮肉込みのズッコケ離婚協議の混線脱線模様は面白いし、とにかく「ロスは広いよ!」という推しがどんどん笑えてきます。バームバックはかなりLAが苦手なんだろうな。
そのNYC⇔LAの代理戦争みたいなところも超楽しい。
帰って地図見てみると、NYCとLAはかなり離れていて、もうほとんど別の国だよね。
そういう国内カルチャーギャップコメディとしても楽しかったですよ。
ニコールの家族も超かわいかった、特にお姉さんのオロオロぶり。
人間喜劇としての面白みが金太郎飴状態でしたよ。

またその一方で、NYCの映画作家であるバームバックの先達ウディ・アレンやカサヴェテスのエッセンスを感じる作家の映画になっていましたね。あとやっぱりこの人、トリュフォー好きね。
その映画史の流れをしっかりと受け止めつつ、バームバッグ得意の会話劇&家族劇にもなっていて、秀逸な悲喜劇に仕上がっていたと思います。
愛らしい導入部からの落とし方で本題突入…の語りもなめらかでシナリオもいいと思うし、例えば地下鉄内のニコールとチャーリーのカットとフレーミングで端的に関係性を示したり、共同作業のはずなのにこちら側/向こう側から門扉を閉めるアクションのカットつなぎで「あぁ…!(もうアカン)」と思わせる手練れの手つきもいちいち良かったし、上品なナラティブの呼吸であったと思いますよ。

それからいくらフェミニズムだジェンダーだといっても男女の差はあると思うし、どちらかというと子供を産めない男の僕には男性の無神経で押しつけがましい無意識の男性優位意識が愚かしく感じるし、でも男女の差はありつつもやはりひとりの人間性ともうひとつの人間性の葛藤に落とし込んでいて、そこらへんのバランスが良いと思いましたね。子供の言動にドラマを持ってこない(かといってマクガフィンにもなっていない)絶妙な作劇も好印象です。

またシナリオも含め、離婚経験者たちで固めたスタッフキャストのアンサンブルというか、体重のりまくった演技も良かったなぁ。
ニコール演じるスカ子は2回離婚していてアダム・ドライバーも両親が離婚しているし、そこらへんがキャラクター造形にフィードバックされていると思うし、なによりバームバック自身の離婚劇がベースになっているので、作り手みんなでディスカッションして作り上げたであろう芝居も見事。
とてつもない共感度を放つ映画になっているのではないかと思います。
(ノア・バームバックも好きだけどグレタ・ガーウィグさんも大好きなので、「この劇団の女はガーウィグさんなのでは…」とゴシップ的にドキドキしたりもしましたね)

とにもかくにも、スカ子とアダム・ドライバーはめっちゃいいですね!

スカ子は「エンドゲーム」のやさぐれ具合も良かったけど本作における”元おっぱい女優/舞台で演技派転向/妻/母/俳優として人生を再開させたいひとりの女性”という多面的なキャラクターをいつものゴージャス感を抑えて見事に表現していたと思うし、アダム・ドライバーはもう得意の役柄といってもいいかもしれない、鷹揚だけど繊細で稚気が抜けない若干スノッブ感あるニューヨーカー感が自家薬籠中といってもいいと思うし相変わらずファニーな体躯や声から醸し出されるヌボッとした感じは、好きだなぁ。
二人が別々の場面で終盤に見せる踊りと歌唱も超ラブリーでした(泣きながら観ていた)。
彼らの演技を観に行くだけでも十分に価値のある映画だと思いますよ!

またぞろこの映画がNetflix製作であることに思うこともあるにはあるけれど、満座の映画館でスクリーンで観られることは、やはり嬉しいです。

鑑賞後、まだ結構若い、欧米からと思われるカップルの男性のほうがしくしく涙をこぼしていて、女性がそれを「大丈夫?」的な感じでケアしていたのを見てホッコリしました。
こういう光景もプラスの映画体験として記憶に残りますですよ。

もう一回観たいと思うし、なんか…がんばるぞ!と思います。
ともかく”…”が多い感想になってしまいました。
もう婚姻者である人にもこれから婚姻契約を結ぶ人も、もう結婚なんてコリゴリという人にもオススメな映画でーす。
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