離婚問題。結婚も経験していない私には、将来有り得るリアルな夫婦の亀裂を観て悲しくなりました。
結婚は妥協しなきゃいけないなんて時代はもうとっくに終わったんですね。
親権問題、夫婦間のお金の問題。最近よくこういった映画を観るので当たり前なんだなぁと。
こちらの問題については深く語れることがありませんが、夫婦のやりとりは共感するところがありました。
大事なのが2人は愛し合っているということです。なのでお互いの良いところも悪いところも分かっている。大好きだから。
その2人の亀裂のでき方がとてもわかりやすくて良かったです。
(まぁ不倫的なことしてたんだけど。)
突かれると突き返して、
それが2倍返ってくると、3倍返し。
人の欠点ばっかりに見て、探して、心にないことまでも怒りにまかせて言ってしまって。それでも治らなくて、しまいには死ねだのカスだの暴言のオンパレード。
あぁあるある。こういったことある。
しかもこんなことしちゃうのは身内なんだよなぁ。
友達は一歩引いて冷戦状態。
身内は一歩前進して宣戦布告。
この人には何言ってもいい。という信頼からきてるんだよなぁ。
でも時にはそれに気づかないで勢いに乗ったまま別れてしまう形も多くない。
離婚は経験した事ないけど、こういった喧嘩や、やり取りは知ってる。
それが凄い共感できた。
ローラ・ダーンの演技は自分にとってはそこまで響くものではなかった。事の運び方や衣服を脱ぐ”寄り添い”のはきちがいをしている強気な女を演じられたのはローラ・ダーンしかいなかった。その演技がめちゃくちゃ本人に似てたというような点で評価されたのなら納得。
“聖母マリア”のお話は本当にその通り。
裁判でなくても、男は女に完璧を求める。
実際、めちゃくちゃ喧嘩した後、アダム・ドライヴァーがヨハンソンを強く抱きしめるシーン。
あれは慈悲の心を求めてるように感じた。
強く怒鳴ってしまった、取り返しのつかないことを言ってしまった私を優しく包み込んで。こんな私を含めて愛して欲しい。
というような無理難題。
でもあれがきっかけでアダムが引き下がったのなら、
あれは、、、。
マリアを求めているのではなくて、キリストの下で懺悔しているような感じなのかな?
あれもよく見る日常だから、監督はすごい詳しく捉えてて圧巻だった。
大袈裟でもない。一番難しい”日常”を切り取った自然体な演技はどちらも受賞出来たんじゃないかなぁ。惜しかったなぁ。
若干カメラワークに不自然なところがあったり、最後の気づきをもう少し工夫(手紙で分かるというより対面で)して欲しかった、、なんてわがままが勝ってしまい
3.8です。
ですが役者の演技、喧嘩の流れ、細かいところに目を光らせたリアリティのある作品です。
Netflix凄いです。さすが。