人生が一つの物語ならば、この映画の通り、その一瞬の出来事は絵画なのだろうか。
劇中で夫々が語る誰しもが体験する様々な出来事は時折、人生の明滅を浮き立たせ私達の意識、私達の人生に喚起するメッセージを認めたレターの様でもあった。
映画も一つの一つの絵画の様に、夫々に潜む物語を動的に表面化させるべく構図、配置、独特な色彩、ある種の殺風景と化した街並の表現…そして、語られるべき出来事…それらを至る所まで完璧に設定しつつ、ミニマルに飾り多言を寄せ付けない。
ロイ・アンダーソン監督が語る「人の脆さ」を創作のテーマにしているとインタビューで語られているが、この作品は寧ろより人の表裏を垣間見る事で一層、人間愛を強く感じた。
絶望に直面し、狼狽する人。
愛に触れ溢れる喜びを体現する人。
まだそんな愛にすら触れていない人。
愛し過ぎた事への痛みを吐露する人。
今まさにその愛に、慈しみを感じる人。
生きる喜び或いは死と向き合う人。
全て人なのだ。
人の想い、想い、なのだ。
それをこれほど牧歌的雄大さに包まれながら時に涙に暮れ、時に破顔したり。
その一喜一憂こそがまさに人の"徳"なのだ。
この76分という時間は無限の様な長さにも思える不思議。
一歩踏み外せば、睡魔の闇に巻き込まれそうなミニマリズムの極致。
だが、語られるべき物語は夫々が持っている人生というストーリーから浮かんできた様な物語ばかりである。
この76分という時間、時にはこういった作品を見て誰かを愛するという想いと向き合ってみる、というのもあながち悪くないと思える筈だ。