Jeffrey

歌うつぐみがおりましたのJeffreyのレビュー・感想・評価

歌うつぐみがおりました(1970年製作の映画)
4.0
「歌うつぐみがおりました」

冒頭、トリビシ国立オペラバレー劇場。活動的な青年、彼を取り巻く大勢の人々、陽気さと哀愁、大胆さと繊細さ、開放的な都会、美しい女性、事故、野次馬。今、青年のドタバタ劇が始まる…本作はグルジアの首都トビリシで撮影されたお調子者の青年の慌ただしい日常を軽妙かつ新鮮に描いたイオセリアーニの傑作で、1970年に監督した作品だ。この度DVDを購入して初見したが傑作だった。この作品はソ連体制下のグルジア共和国の撮影所で、高度に洗礼されつつ自由奔放な3本の長編映画を彼が監督した。

それは66年の「落葉」70年の本作、75年の「田園詩」である。ところが、この作品たちも正当に評価はされなかったらしい。それは当局が公開を妨げたからである。ところが、1974年にカンヌ映画祭で紹介されてユニークな作品と高く評価された。そして芸術を愛する彼はタルコフスキーに激賞された「田園詩」の後に新たな創作を求めて活動拠点をフランスに移し、独自の映画を作り続けている。




本作は冒頭から魅了される。まず、開放的な都会の描写が写し出されて、それとは正反対な大自然の草むらの中に1人の男性の姿を映す。彼の名はギア。国立オペラバレー劇団の演奏者の1人のようだ。彼は同僚にどこをほっつき歩いてたと言われ、慌てて劇場に向かいギリギリセーフの所で演奏に間に合った。彼は何度も遅刻をする癖があるようだ。同僚たちは今日こそは許さないと怒り新党である。だが、彼は説教なら聞かないぞと言って去ってしまう。

続いて、同僚2人がギアの自宅へお邪魔するも、彼がお酒を用意している間に帰る支度をしてしまい(二日酔いしながら仕事をしたくないと言う理由で)彼は扉を開けて帰らせた。続いて、カメラはカーテン越しの部屋の窓を写し、夜から朝方になるまでの過程を我々に見せる。そして翌日彼が洋服を仕立てて準備をしている間に、子供たちがその窓からオルゴールを回してほしいと彼に頼む。その4人の可愛らしい子供たちの願いを彼は聞いてオルゴールを回して音を聞かせてあげる。その間に彼は一服をする。

そしてとある男が彼の家にやってくる(最後の最後までこの男性が何の目的でこの家に来たのか、ギアとの関係性が明らかにされない)。そこで彼は子供たちに俺は留守だと伝えてくれと言い彼は机の下に隠れる。その男性は彼の家の窓から中の様子を見るが帰ってしまう。そして子供たちが大丈夫だと言う合図を送ってくれて、彼は机から出て椅子に座る。そして仕事を開始。続いて、ロシアからやってきたとあるお客さんの夫婦が彼の家にお邪魔する。どうやら観光しに来たようだ。だが、彼は仕事と言うことで後は母親に任せると言い家を出る。

そして道端でカメラをいじっている男性にレコードを渡すギア。どうやら2人は知り合いのようだ。続いて慌ただしい喧騒な街へと繰り出すギアはバスに乗り、向かいの道に歩き進む。そしてカメラは劇場内を捉える。そこには無数の楽器が置かれている。そして演奏が始まる。そしてカメラは細菌研究所を捉え、そこで女性との会話を楽しむ彼の姿を映し、続く大浴場で男性(アゼルバイジャン人)たちとの会話を映す。

さて、物語はグルジアのトリビシと言う郊外の草むらで曲想を練ろうとする青年ギアを軸に慌ただしい3日間を映し出す。まず彼は街で女性と並んで歩くが、彼女に無視されてしまう。そしてワルキューレの騎行第1幕の演奏会が終わる寸前、彼は別の若い女性を劇場のロビーに待たせ、演奏中の楽団の最後尾に紛れ込みティンパニのパートにギリギリ間に合わす。そうすると指揮者の男性が彼にご立腹の様子だ。そしてそこから様々な登場人物が織り成すドラマが写し出される。そして彼に不幸な出来事が起きる…と簡単に説明するとこんな感じで、女たらしな主人公が憎めない才能持っていて面白かった。



やはり卒業制作で監督した「四月」同様にこの作品にも多くの楽器が登場している。そもそも舞台になったトリビシにあるこのオペラ劇場は1896年に建てられたもので、今現在も人々が誇るオペラバレエ劇場となっているとのことだ。この作品はもう一つ中心的な存在がある。それは音楽院で、コンセルヴァトールだ。これもどうやらグルジアの音楽の中心地の1つであり、若き日の音楽家を育てた場所である。

劇中で印象的に残ったところは、やはり全編を通して慌ただしく主人公ギアがハツカネズミの如くうろちょろするところだろう。それと望遠鏡を使って隣人を除く少年のシーンは可愛らしく魅力的であった。それにやはり圧巻と言うべきシークエンスはみんなでピアノの周りに集まって合唱練習する場面だろう。その前にもお酒が入って気分を良くして自然に歌い出してしまう人々の可愛らしいシーンは見ていて幸せな気分になる。こういった場面を切り取って多くの人にグルジアの文化やグルジア人の日々の暮らしを訴える監督に拍手喝采を送りたい。こういった貴重な映画を僕は求めている。もっとこういった作品で多文化を尊重し、皆に広めていきたいと思う。

それと多分グルジアで相当有名というかかなり大きな図書館がこの作品に出てくるのだが、その場面で一応本的な物をレンタルするのだが、いてもたってもいられず、すぐに一服しに行ってしまうギアの姿が面白い。きっと集中力がないのだろう。実際に机に向かって楽曲を考え仕事しようとした場面でも、直ぐに寝床についてしまっていたし…。その後に女の子たちを観察しに行く場面も非常に面白い。そして立ち入り禁止となっているだろうとその学長風な男性に怒られ追い出される場面も滑稽である…なぜだかギアはニコニコと笑っている。




この映画の凄いところ(画期的)は主人公のギアと言う青年が飽きっぽい性格で、朝から何一つ特に素晴らしいこともせずに街を徘徊すると言うことである。60年代のヌーベルヴァーグのような演出を施されているが、見てるこっちはそんな輩の1日を見せられて非常に退屈で困ってしまう。だが、この映画の良いところは退屈なのに面白いと言う点である。それはやはりイオセリアーニのずば抜けた演出のおかげだろう。

このドタバタ喜劇の三日間を描いた作品の中に当時のグルジアの人々の普遍的な生活が記録されている所にも注目したい。例えばグルジアと言う国がまだソ連の一部だった頃のお話だが、後にソ連が崩壊してグルジアが独立する。そういった人口約500万人ぐらいの小さな国には様々な民族や宗教がある。この作品でもわかるように、アゼルバイジャン語が飛び交うシーンがある。そもそもグルジアは黒海とカスピ海の間のコーカサス地方に位置しており、現在でも多くの民族が暮らしている。

だから劇中に短いシーンだが、様々な教会が映る場面がある。グルジアの宗教に関してはよくわからないが、一応調べてみるとトビリシと言う街自体が協会の街とのことで、基本的にはキリスト教徒であるとのことだ。ただやはり多種多様な民族が暮らす分、アルメニア教会やカトリック教会、イスラムのモスクやユダヤ教のシナゴーグも含め様々な宗教宗派の宗教施設が置かれているとのことだ。

とすると監督はこの作品を通して、この舞台となったトビリシがいかに他民族、他宗教の街であることを訴えているかがわかる。そしてその事実を見てみると驚くことに、ソビエト連邦は公式的には教会を否定していた分、こういった作品が作られたのは非常に画期的であると思う。実際、この作品当時公開されたのかはよくわからないが、一応制作は70年になっているが、公開は72年とされているが果たしてソビエトで公開されたかは少しばかり調べたがわからなかった。

そういえばワインと言えばフランス産を思い浮かべる人が多くいると思うが、確か昔テレビ東京でやっていたグルジア人が日本に来日すると言う何かの企画でグルジア産のワインを手土産に持ってきてた人がいたのだが、このイオセリアーニの作品にはよくワインが文化の重要な側面として現れている。この作品でも男たちがワインを飲みながら語り合いながら歌っている場面が見られていたが、確か監督の「落葉」と言う作品でもワインに対しての物語を描いていた。そういったぶどうの栽培やワインの発祥の地とも言われているグルジアの古き良き文化をこの作品に入れているのは個人的には嬉しい。

やはり映画を通してその国の風土や伝統から文化、歴史を学べるのは自分にとっては非常にありがたいことである。そうやって知恵を知識に変えていく力を身に付けていくのだ人間は。

そうそう、それとこの作品のラストに時計の修理を始めるくだりがあるのだが(歯車がリズムを刻んで動き始める)。それってラストの主人公に起こる不幸な出来事の後を観客に映像として見せない答えがこの歯車が動き始めると言う映像に置き換えられているんじゃないだろうか?ちょっとうまく説明してしまうとネタバレになってしまうため言えないが…。

それにしてもこの作品の登場人物は何人いるんだ?ざっと10人以上はいるだろう。わずか83分の作品にこんなにキャラクターを登場させるのは凄い。それにしても日本タイトルが非常に可愛らしい。他の人も言っているが原題は「グルジアのおとぎ話の語りだしから彩られている」と言うものになる。なんだかぱっとしないタイトルである。



余談だが、劇中のオペラ劇場はもともと1851年に同じ場所に建てられていたものなのだが、最初のオペラ劇場は1874年に焼失したとのことである。現在の建物はその後に再建されたものになっている。それと本作に出演している指揮者を演じたJ.カヒゼは実際にグルジアを代表する優れた指揮者との事である。2002年5月に亡くなるまでオペラバレー劇場の劇場監督も務めていたそうだ。この人確かイオセリアーニの「群盗、第七章」にも出演していたな、同じ指揮者役で。

それとトリビシと言う都市の名前はグルジア語で"温かいもの"と言う意味で暖かいもの=温泉=公衆浴場と言う具合にこの作品に公衆浴場のシーンが含まれている。どうやら温泉にちなんで名付けられたと言う伝説があるようだ。

最後に、この映画は慌ただしい日常に乾杯する古き良き素晴らしいグルジアの文化映画である。この乾杯と言う単語は、この作品を見ればわかるのでぜひ確かめて欲しい。グルジアに乾杯、君たちの歌に乾杯、健康に乾杯、僕らの出会いに乾杯!!!
Jeffrey

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