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娘は戦場で生まれたのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

娘は戦場で生まれた(2019年製作の映画)
5.0
[サマ、アレッポを憶えている?]

"サマ、この映画はあなたのために作ったの。なぜあなたの父と母がこのような選択をして、何のために戦ったのか、分かってもらうために。"

『For Sama』という題名の通り、これはワアド・アル=カデブが娘のサマに向けたポートレイトであり、タイムカプセルであり、故郷とそれを守るための戦いの記録である。語り口は常に幼い娘に向けられており、その手法はペトラ・コスタ『Elena』を思い出す。それほどパーソナルかつミクロな視点で内戦を捉え、アレッポという激戦地に暮らすある夫婦の生活から非人道的な戦争の片鱗が見えてくる映画と言えば良いのだろうか。画面に映った人々、サマに関わった人々は既に故人であることも多く、それが密接であるほどに悲惨さは増していき、『Elena』の携えていた鬱屈した感情は何倍にも濃縮した形でアレッポへの執着へと変わっていく。彼らの犠牲を無意味なものにしないために。そして、サマへの呼びかけはいつしかサマたち子供世代全体への呼びかけとなり、アレッポの惨状を知らない世界中の人々への呼び掛けへと変化していく。いや、最初からそうだったのかもしれない。映画には大人たちと同じくらい多くの子供たちが登場する。彼らの多くは病院で亡くなり、ワアブはサマに語りかける。あなたにはこうなって欲しくない、と。そして世界中の子供たち、引いては戦争を知らない全ての人間にも語りかける。あなたにはこうなって欲しくない、と。

アレッポ大学で経済学専攻の学生だった2012年。ワアブは、世界から無視され続けるシリアの現状を伝える唯一の手段としてカメラを携えて生活を撮って回り、医師であり親友のハムザなどとともに、荒廃していくアレッポから一歩も引かずに自力で病院を始めるに至る。サマ誕生以前の物語だ。いつも笑ってワアブを勇気付けてくれるハムザは医師として昼夜問わず働き続け、何が起ころうとアレッポ西部を離れない人々を支え続ける。悲惨な出来事とそれでも楽しく美しい出来事は交互に訪れ、ワアブの、ハムザの心を掻きむしる。一時は楽観的にアレッポの自由を謳歌するも、政府側の攻撃は激しさを増し、外にすら出られなくなる。病院も爆撃対象となり、治療中の患者や同僚の医師たちですらそれに巻き込まれる。

数ある悲惨な出来事の合間に美しい時間が差し込まれることも多くある。室内で行われたワアブとハムザの結婚式。食料が絶たれた中で、柿をプレゼントした時の友人家族の姿。子供たちにせめて子供っぽいことをさせてあげようと、焼け焦げたバスにペンキを塗る昼下がり。爆撃に冗談を言う瞬間。これらは繰り返される惨状の中で光り輝いている。しかし、そんなふとした美しい瞬間も、次々と襲いかかる悪魔的な出来事の数々を前にすると時に無力になってしまう。ワアブは亡くなった子供の両親が既に亡くなっていることを知って"少なくとも子供を埋葬する必要がないだけ羨ましい"と思ったり、サマを産まず・ハムザにも会わず・田舎からアレッポに出てこなければよかったと弱気になったりする度に、自問自答を繰り返し、アレッポで戦う意志を再び固める。そして、水も食料も電気も絶たれたアレッポ唯一の病院の血に塗れた廊下と、爆撃を避けて窓を塞いだサマの部屋を往来しながら、世界から見放された戦場を捉えていく。

ワアブは全てを撮影することについて、"アレッポにいる意味を与え、この悪夢を時間と労力をかけるだけの価値があるものに変えてくれる"としている。それによってミクロな視点と語りかける手法から普遍性を得た映画は、アレッポにおける戦い、シリアの内戦を軽々と超えて、世界大戦前夜の空気が流れる現代社会に強烈なメッセージを叩きつける。アレッポの惨状は世界大戦が起こればどこにでも起こりうるのだ。BGMのように戦争を聞き流している中東から離れた人々も他人事では済まされない。

失われたアレッポに思いを馳せながら、サマに語りかけるように紡がれた戦いの記録は、取り返しのつかない破壊の記録でもあった。いつしか平和裏に帰宅できる日が来ることを願って。
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