二人目の子供を産んだことへの自省的な言及はほとんど避けられている。神の意志と母の論理が同一化したような語りに違和感を覚えた部分もあった。
自分の子供が生への執着と無縁な姿で動いている様子と、他人の子供の物言わぬ遺体を同じショットの中で交互に写してしまうような時期の映像よりも、自己演出の余裕が薄れてきてからの作家自身の生の限界に立ち現れるショットの魅力を語る必要があるように思う。
ドローンの視点の導入はどうしても侵略者のカメラ・アイを想像させるものがあって、島嶼映画も大体空撮の映像から入ることが多い事実を思い起こさせる。