KnightsofOdessa

ジャンヌのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ジャンヌ(2019年製作の映画)
4.5
BIFFレポート②[天才を殺す凡夫たちへの皮肉] 90点

1429年5月、甲冑を着たジャンヌが膝をついて空を仰ぎ見、神に祈っている。或いは彼の言葉を待っているのかもしれない。甲冑が重すぎるのか、膝のとこが丸まっているからか、単に砂丘が祈り辛い場所だからなのか、ジャンヌはてセリフを吐きながらも風に煽られて妙にフラフラしている。そんなジャンヌにキューンとなりながら、彼女の後半生を辿る長い旅が始まる。そもそも、前作でジャネットからジャンヌに成長したはずなのに、本作品ジャンヌを演じるのは前作のジャネットを演じたLise Leplat Prudhommeなのだ。しかも、ジャンヌが亡くなったのは19歳なのに対して、彼女はまだ10歳。このキャスト交代について触れているインタビューはないものの、前作に比べて陰鬱になった物語を、Liseちゃんの可愛らしさが中和してくれていたので個人的には助かっている。ジャンヌの子供っぽさの表現という意味合いもあったかもしれない。デュモン本人は"危機的状況というのは年齢には関係ないし、解釈を自由にしたかった"と語っている。

前作『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』の正当な続編という立場の作品であり、同作の原作であるCharles Péguyの戯曲の後半二章を原案としている。また、Igorrrが音楽を担当したヘビメタバトル映画だった同作から、音楽担当をクリストフに変更したため、音楽の意味はミュージカルとしてのセリフからジャンヌと神の交信に変わる。デュモン本人もミュージカルと呼ぶなと言っている。本作品で唯一登場するニュージカル的なシーンは、シスの暗黒卿のような出で立ちの男(審問官の一人Guillaume Evrard)が、裁判中に立ち上がって突然独特な高い声で歌い出すと、フードの下から光が当たって実はクリストフ本人だったという爆笑シーンのみだ。

彼女には仲間も増えている。国王の軍隊を前線で率いる人間として、ジル・ド・レ元帥(前歯の抜けた若い青年)や枢機卿など彼女とともに戦う大人が横に立つ。しかし、彼らは"ねえ、神の声聞こえた?"とジャンヌを急かし続け、実際には彼女を邪魔する方向にしか動かない。翻ってジャンヌは戦闘のトップであることに苦悩を重ね、度々空を仰ぎ見て神に語りかける。クリストフの歌う澄んだ歌声で、人間の争いは醜すぎる、私は家に帰りたい、と。デュモンの言う通り、本作品はある種の歴史修正的な語り直し・新解釈が含まれている。そして、驚くことに、神は返事を寄越さない。心の中の澄んだ歌声は、上を眺めながら風に煽られて揺れるジャンヌの中だけで木霊すだけなのだ。やがて、彼女はイギリス軍に包囲されたパリの街近辺で友軍が略奪行為を働いていることを知って、人間に失望する。

神からの言葉を受け取れなかったジャンヌは自らの判断でパリに攻め込む。なんとも幻想的な戦闘シーンは本作品の前半のハイライトであり、馬に乗って並んだフランス・イギリス両軍が太鼓の合図で混ざり合い、円を描いてジャンヌを囲み、パッと離れたかと思ったら接近するというのを繰り返す。神目線の俯瞰ショットとジャンヌ目線のパンが重なり、実際に彼女が"聖女"であったことを一瞬に示すのは見事としか言いようがない。しかし、彼女は戦闘に負ける。ジル・ド・レには"兵士はてめえほど高潔でも信心深くもねえ!"ブチ切れられ、略奪された街への派兵も断られる。怒りに満ち溢れたジャンヌは一人で村へ向かうシーンも物悲しく、ジャンヌが森に入った10秒後に馬だけ戻ってくる映像で彼女が囚われたことを示している。

ここから長い長い裁判が始まる。大量の神学者や宗教者と対面したジャンヌが、彼らのしょうもない質問を躱していく姿を見せ続けるのだ。これが、理解できない天才の行動をつぶさに潰していく凡夫の構図と全く同じであり、ネチネチとクソリプを送ってジャンヌの精神を削ろうとしているのが見えてくる。そして、ジャンヌが口答えをするたびに"あれ~パリ戦で負けたよね~?"などと過去の失敗をあげつらい黙らせる。正に現代のジェームズ・ガン騒動を始めとする魔女狩りに重なるのだ。そうして揚げ足を取り続け、神の声など聴いたこともない凡人たちは、本質的に大切に扱うべき聖女に群がって自身が正しいことを証明しようとする。見苦しいが、現代の人間でも心当たりがありまくりで心が苦しくなってくる。

最も印象的だったのは、司祭たちが"もうミサやってあげないぞ?"と言った返事。"じゃあ私は神から直接ミサ受けるんで"とジャンヌは答える。一般人と神を繋げる儀式として存在するミサを、仲介なしで自分でやりますというのは司祭にしては耐え難い侮辱だろう。

何度も審問を繰り返してもジャンヌは供述を変えない。史実にあったような異端を認める云々のくだりは全て省かれ、物語はジャンヌの牢を守る三人の男たちにスライドする。"歴史"の近くにいながら歴史には残らなかった彼らのどうでもいい話、なんでこの仕事をしてるのか、彼女はいつになったら火刑になるのか、イギリス軍が近くにいるらしいぞ。そんな彼らの会話の背景に、ドレスを無理矢理着せられ、粗末な野外牢に入れられたジャンヌがベッドに力なく寝ているのだ。モンティ・パイソンぽさもある、笑えるシーン。

そして、ジャンヌは我々の知る通り火刑に処される。しかし、感動的なシーンでもなんでもなく、誰も居ない浜辺の高台で、画面には遠くで焼かれるジャンヌしか見えない。問題は聖女ジャンヌが殺されたことではなく、現代で彼女のような人間が魔女狩りに合っていることにあるからだろうか。思えば、ジャンヌは要所要所でカメラに向き直り、強い目線で言葉を伝えてきた。カメラを通して我々は神になり、彼女の死を知っている現代の我々が、彼女を死に導いたかのようにすら感じられる。そして今、彼女を死に至らしめた神=我々に求められているのは、彼女のような人を殺してしまう現状を変えていくことなんじゃないか。

※現地レポート
ジャンヌと審問官との罵り合いで隣りにいたカップルは退屈したのか静かにちちくりあっていたが、それにも飽きたのか直ぐに劇場を出ていった。釜山映画祭はチケットが700円なので、適当に入ってつまらなかったら出ていくという文字通りの"祭"なのだ。100人近く入る劇場で、平日の昼からデュモンを観るのは20人程度しかおらず、しかも途中退場者の嵐で、結局8人しか残らなかった。残された8人は達成感と謎の連帯感に包まれ、エンドロール終了後に目配せをしあった。お疲れ様、と。

※ジャンヌ・ダルク比較
これまでの有名なジャンヌ・ダルク映画
カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(1928)
→ルネ・ファルコテッティ(当時35歳)
ヴィクター・フレミング『ジャンヌ・ダーク』(1948)
→イングリッド・バーグマン(当時32歳)
ロベルト・ロッセリーニ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(1955)
→イングリッド・バーグマン(当時39歳)
オットー・プレミンジャー『聖女ジャンヌ・ダーク』(1957)
→ジーン・セバーグ(当時19歳)
ロベール・ブレッソン『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962)
→フロランス・ドゥレ(当時20歳)
ジャック・リヴェット『ジャンヌ 薔薇の十字架、愛と自由の天使』(1994)
→サンドリーヌ・ボネール(当時26歳)
リュック・ベッソン『ジャンヌ・ダルク』(1999)
→ミラ・ジョヴォヴィッチ(当時23歳)
フィリップ・ラモス『Jeanne Captive』(2011)
→クレマンス・ポエジー(当時28歳)
ブリュノ・デュモン『Joan of Arc』(2019)
→Lise Leplat Prudhomme(当時10歳)
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