音楽と変な歩き方をすることが得意な男の人生史ドキュメンタリー。
▼細野晴臣といえば・・・
▽はっぴいえんどの人、エキゾチックな音楽作る人、YMOの人、昭和のアイドルに曲作った人、映画音楽を作る人etc
▽そのどれも間違っていないけど、どれかひとつのくくりで切り取るには、あまりに的を得ない
▽映画をみると、「自分の好きをつきつめる」「自分がいいと思う試行錯誤を追求する」「ワクワクするかで判断する」「絶え間ない実験精神」という本質が一貫としてあることに気づかされる
▽映画の合間に絵やダンス、映像作品なども挟まれ、好奇心から生み出されるものは音楽だけじゃないこともおもしろい
▼そうして生み出された「いい音楽」が若い世代に伝承される時代を、映画を通して目撃できる
▽マーティン・デニーをはじめとした、東洋的、トロピカルな音楽を生み出す音楽家の存在
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それを知った細野氏が、そのコンセプトをもとにトロピカル3部作や、バンド「ティンパンアレー」を結成
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YMOでマーティン・デニーの楽曲(Firecracler)のテクノバージョンの発表
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細野氏の影響を受けて、映画内で細野バンドでキーボード担当の野村卓司と星野源が、マーティンデニーの楽曲「SakeRock」から引用し、インストバンド「SAKEROCK」を結成
(同バンドのドラム伊藤大地も細野バンドでドラムを担当)
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サケロックオールスターズというSAKEROCKに高田漣(細野バンドでギター担当)をはじめとしたゲストを招いた編成で細野晴臣氏の「PomPom蒸気」をカバーしたこともある
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横浜中華街で40年ぶりに演奏する細野晴臣バンドのコンサートで、星野源を招き、「Sakerock」や「Firectacker」等を演奏
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細野晴臣氏が星野源へ「これからはよろしく」と伝える言葉の重みがすごい。
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日本のロックやポップの礎を築いた細野晴臣の音楽性が、いまや星野源をはじめとした若いミュージシャンに受け継がれ、昨今のポップシーンを作り上げていっている
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ロンドンでの「Absolute Ego Dance」の演奏で、急遽YMOメンバーや新生YMOでギター担当の小山田圭吾も交えた即興演奏はすごい瞬間
▼日本のミュージシャンだけでなく、台湾の漫画家や、アメリカのシンガーソングライターなどの外国の若者にも影響を与えているのはすごい
▼歌の作品はたくさんあるのに、晩年になって歌うことがやっと好きになったという言葉に驚き
▽そんなに歌好きじゃなかったんだ。。
▼細野晴臣が生まれた戦後の日本のアメリカのムードや文化が細野晴臣氏の音楽性に火をつけ、晩年にその体験がアメリカで還元されるという時代を超えた恩返しのような空間があたたかい。
▽細野晴臣という深刻さを嫌い、気楽に楽しく飄々と生きていく存在は、戦争がなかったらもしかしたら生まれていなかったかもしれない。
▽戦争という悲劇があったからこそ、細野晴臣氏の音楽性は磨かれ、その音楽性が伝承されたいまもなお、自分たちがその音楽の豊かさを享受しているという、時代のスケールのデカさに圧倒される。
▼吉祥寺アップリンクの音響が非常によく、演奏シーンでは常に大興奮