CHEBUNBUN

地獄の黙示録 ファイナル・カットのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

5.0
【あぽかりぷす、なう】
※本レビューはnote創作大賞2025提出記事の素描です。
【上映時間3時間以上】超長尺映画100本を代わりに観る《第0章:まえがき》▼
https://note.com/chebunbun/n/n8b8d6963ec5a

ドアーズ「The End」のダウナーな旋律の中、男は目を開く。そこにはベトナムの凄惨な爆撃のイメージが重なる。ここは戦場かそれとも平和な街か。夢から覚める前の虚実が重なり合った曖昧さは、ヘリコプターと天井のプロペラの重なり、記憶上にある戦地の音と現実の音が混ざり合ったイメージによって表現される。ジョゼフ・コンラッド「闇の奥」を読んだことのある人なら、あの酩酊状態ともいえる文体を完全に映像で再現したフランシス・フォード・コッポラの編集に脳天を撃ち抜かれたかのようなショックを受けるであろう。

戦争の狂気を描いた作品は数多くあれども、ここまで人間が壊れていき、最終的に無の境地に至る様を描き切った作品は他にない。『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』を観れば明らかなように制作現場もまさしく「アポカリプス、ナウ」であり、剥き出しの狂気が作品に凝縮されているからだ。そのため正直、今の価値観からでは決して褒められたものではない。「アメリカはショーに関して一流だ」と豪語しながら、本物の戦闘機を出動させる。アメリカ人1名の給料でフィリピン人100名雇えるため、600名近い現地人を使って巨大なセットを作り上げる。奴隷に巨石を運ばせてピラミッドを作らせる様子に近い禍々しさ、フランシス・フォード・コッポラ自身が闇の奥に取り込まれ生み出された作品なのだから。

しかし、そういった問題は横に置き、戦場によって変容していく人間心理を大胆かつ繊細に捉えた本作には圧倒されるものがある。カーツ大佐暗殺の極秘任務を携えたウィラード大尉は4人の若造を従え戦地へ降り立つ。キルゴア中佐が指揮するヘリコプター強襲部隊と合流するのだが、彼はすでに壊れていた。空爆の最中にもかかわらず、ランスにサーフィンをさせるため、部下に波の具合を見るよう命令する。いくら止めようとしても爆撃中にサーフィンをすることに執着するキルゴア中佐の異常さを恐れ逃亡する。

ウィラード大尉は心のナレーションにより戦地の高揚感とは距離を置こうとしているのだが、部下の暴走、敵の急襲、もはや指揮官不在の状態で戦闘が続けられている様といった地獄の中で神経をすり減らし、ようやくカーツ大佐と対峙した時には、悟りを開いた彼にどこか同情するように取り込まれ、殺害のミッションが遂行できなくなっていくのだ。この時の錯綜迷走混乱した心理は「闇の奥」における以下の部分と共鳴するものがあり背筋が凍ったのであった。

ーむしろ彼は、大地を粉微塵に踏み砕いていたのだった。全くの孤独だった。彼の前に立った時、僕自身さえが、果たして大地の上に立っているのか、中空に浮かんでいるのか、わからなくなってしまった。先刻から僕は、その時の僕等の会話をー言葉そのままに伝えているわけだがーしかしそれがいったいなにになる?それらはただ日常平凡な言葉ばかりー僕等がみんな日々の生活に取り交わしている、あの聞き慣れた、曖昧な声音にすぎない。そんなものがなにになる?彼の場合は、一つ一つの言葉の背後に、ちょうどあの夢の中で聞く言葉、悪夢の中で口走る言葉のように、恐ろしいまでの暗示が含まれていた!魂!もし誰か人間の魂と格闘した人間があるとすれば、それはこの僕だ。しかも僕の相手は狂人ではなかった。信じてもらえるかどうか、それは知らない。だが、彼の叡智はむしろ明晰をきわめていたとさえいえるーなるほど、一切の関心が恐ろしいほどの強烈さで、自我の上だけに集中されていたとはいえるが、しかしとにかく明晰であった。

「闇の奥(岩波文庫)」p138より引用
CHEBUNBUN

CHEBUNBUN