ラウぺ

地獄の黙示録 ファイナル・カットのラウぺのレビュー・感想・評価

4.2
1979年の劇場公開版(153分)、特別完全版(202分)に続き、今回のファイナル・カット(182分)がプレミア上映版を除くと3つ目のバージョン。
最初の劇場公開のあと特別完全版を観て、2016年に劇場公開版のデジタルリマスター、そして今回のファイナル・カットと、ひとつの作品を劇場で4回観るのは今のところこの作品のみ。

特別完全版からは20分ほど短くなっていますが、子細に確認したわけではないものの、明らかにカットされたと分かるシーンはプレイメイトとPBRの乗員が一夜を共にするところが全カット、プランテーションのフランス人との会話が少々短くなっていること、カーツが子供と雑誌を読むシーンがない、といったところ。
おそらく細々したところを微妙にカットして尺を刈り込んだものと思います。
特別完全版からのカットがそれほど多くないのはちょっと意外でしたが、ファイナル・カットを謳っている以上、これこそがコッポラの最終的に納得しての結果なのでしょう。
特別完全版は映画としての繋がりというか、パッケージとしての収まりは確かにあまり宜しくないところがありましたが、せっかく撮ったものを出来るだけ残したい、という意図があったものと思います。
今回カットされなかったのが意外に思ったのが、ウィラードがキルゴアのサーフボードを盗むところ、プランテーションのフランス人の場面が残されたことです。
誰よりもベトナムの戦場に馴染んでしまった(ベトナムにしか居場所がなくなった)ウィラードがキルゴアを終始奇異の目で見ているところから、ウィラードはベトナムをエンジョイしているキルゴアが嫌いで、キルゴアのボードを盗むのはちょっとしたおふざけなのだと思いますが、キルゴアがボードを返せとヘリから呼びかけるところでPBRの乗員と親しげに笑いあう場面はその後の乗員との緊張状態の描写(サンパンの臨検の際や、銛で船長が襲われるところなど)などからして少々違和感のあるところであり、プランテーションの場面の幻想的な雰囲気は狂気の王国に入る直前に挿入されるには空気感が合わないと感じられたところでもありました。
あえて残すからにはやはり必要と判断されたということですが、プランテーションでの特別完全版での会話は、インドシナ時代から何も変わらずそこで暮らしてきたフランス人地主の化石的時代錯誤に加えて、代わってベトナムに介入したアメリカの政策を断罪する会話があったのをカットされたことで、この作品のベトナム戦争へのスタンスがやや後退した感じがしてしまうのです。
プランテーションのフランス人たちを過去の亡霊のように嗤う一方で、ベトナムでウィラードたちアメリカ人が現に行っていることに触れないのは政治的なバランス感覚として不公平の誹りは免れられません。
今回のバージョンでもフランス人たちの会話は既に充分以上に長いので、カットは致し方ない、ということかもしれませんが・・・

今回のエンディングも爆撃のシーンは無し。
これはコッポラが爆撃のシーンは不要と判断した、ということで今後復活がないのは承知していましたが(劇場公開版のレビューのところに詳しく書いてあります https://filmarks.com/movies/1780/reviews/59471788)、今回は雨音でブラックアウトとなった後にちゃんとしたエンドクレジットが入りました。
バックの音楽は最初の劇場公開版で爆撃のシーンにあったものと同じ音源かと思いますが、クレジットはそれぞれのバージョンごとにキャストやスタッフの名前が出てくるもので、ようやく映画として締まりが良くなったということ、エンディングの余韻に浸る貴重な時間をようやく得た、ということは大きかったと思います。
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