ドルビーシネマの立体音響にて。
ナパーム弾での爆撃、ローリングストーンズ、ドアーズの爆音が頭上に降り注ぐ。
狂ったと言われる上司を殺しに行くが、途中で本当に狂ってるのは、前線の指揮官や司令官だということを見せつけられる。
サーフィンのために、周辺の村々を空爆したり、貧乏に耐えるベトナム国民の隣で、慰問を受けるアメリカ軍。
国のために戦うベトナムともはや何のために戦っているのか分からないアメリカ。
見えない敵を相手に同士討ちを始めるアメリカ軍が象徴的だ。
前線の兵士が求めているのは、ドラッグとロックと休息だ。
銃後の国民も、戦争の終息を願っている。
それでも、アメリカ兵はまた一人と死んでいく。
戦場でしか生きがいを見出せない主人公。
一度、帰還したにも関わらず、故郷を捨て戦場にまた帰ってきてしまう。
だが、主人公はこの戦争に意味がないことに徐々に気づき始める。
だが、自分のアイデンティティは戦場にしかない。
任務も終わりに近づく中、殺すはずの男が自身と似たような境遇に陥っていることにも気づく。。。
これは自分殺しの話でもあるのだ。
前半の戦争シーンに比べて、後半の失速と蛇足が目立つが、それを補う照明のライティングとBGMに釘付けになる。
そのBGMもほとんどが劇中とリンクしており、無理やりねじ込まれたものはほぼない。
照明に関してはさすがコッポラ!
あえてカーツ大佐の体の一部しか映さない撮り方が不気味さを増している。
コッポラがインタビューで、「後半何を撮ってるのか、分からなくなった」とコメントしているように、カーツ大佐の言葉に、「欺瞞」と「虚栄」以外の意味はない。
加えて、カーツ大佐(マーロンブランド)の体調が最悪で、ラストシーンに入れるはずのアクションシーンが変更になってしまったらしい。
惜しい。後半の失速がただただ惜しい。
ただこの訳のわからない撮影がそのまま、カーツ大佐の狂気にリンクしているのがこの映画の奇跡。