ニューランド

8月のエバのニューランドのレビュー・感想・評価

8月のエバ(2019年製作の映画)
4.1
変なもので日仏学院の映画料金が千円に戻り、かつ今でも今一つだが予約が何とか出来るようになって、ここへの回数が増えた。いくら何でも一本1200円は映画の代金に相応しくない大袈裟なものに思われ、数千円なのか会員となると、自分の方がそんな映画エリートには相応しくないとなる。
思わぬ才能にぶち当たるには、やはり余裕を持たなければ無理だ。評判作は万人に受ける分、個性に欠ける。
8月前半の15日間の日付けの字幕タイトルが律儀に入り(それにしては、夜12時をまわらない内に、次の日の字幕に、なんて時もある。)如何にも全盛期(’70前後?)のロメールタッチの作品に見えて、ショットの安定度、キャラのイノセンスと深い教養への信頼、に於いて180°表裏を成し、あくまで見せかけのこの種の作品の類似でしか思えなくなる。ロメールの温もりはなく、それを期待して観る者は飢餓におそわれてくる。基本パンやティルトはあるがカメラ移動はないように見え、切返しや垂直の関係などの隙のないショット間の正確·的確な切り結びがズレるか外し·まま受け継かず、残る逐次性が引率し妙なトゲを感じる。それでいて、近場のサイズ·アングルを積み変えてる中で、形態を越えてその内からのトゲがピタッと必然へ埋めを作る時が生まれくる(積極的でもなく、山あいの池で泳がされ、浮かびつつ進む中での瞬間等)。基本現実音だけだが、1回シュート外の音楽音響的なものが入り占め、もう1回は現実音の量が途切れる。
とりわけヒロインでだがキャラも皆、社会的な習慣に馴染むよりも、馴染めず臆病が続くくせに、対人者との仲の継続を望む·教養くるみの投げかけではない、要らぬ所まで追い突っ込み、直の反応引き出しを行い、親しくなると共有すべき神経·感覚の麻痺帯びに向かわず、自分を更に研ぎ、真の自己の見いだし·裸で感じる空気に走る。敵意はないが、向き合うをほじくり出す、自分からはそう内を披露せずに。ヒロインは、マドリードの実家近くを離れた事がなく·特に望む事もなく、まわりの友人の持つ故郷(地域·国)を出てやり直す必要·出自や環境との軋轢も感じた事ないが(バカンスの8月すら、市内の仮住居に引っ越すだけ)、常に足場に不安定を感じ、真の自分を無意識に·ときに意識的に問い続けてる。
33歳直前·女優もどきに見切りつけ·次を模索中のヒロインに、 妊娠·出産で周囲との関係変わる前よりの違和で疎遠になったと指摘され·苛立たれる嘗てのルームメイト、久し振り再会の調子やノリのいい男友達、別れて数ヶ月の元恋人とのニアミス、転居を繰返して40過ぎ·出産のホケン(凍結卵子)の扱いを考え直してる管理人、イギリスから移住10年·それを訪ね来てる従兄弟同士、ヒロインと同じく役者では食えずバーテンや危険な帰路習慣を持ち·空いた同居人を探してもいる·直後の旅を控えてる男、精神安定の為に霊気療法かじりの女とも知り合いに。
ヒロインは、恥じらいも多いが心配症と云い、臆病接せずの方を遠ざけ、ゆとりなくストレートで辛辣なアプローチ·スタンスで、それが裏もないので警戒も持たれず·人間関係は戻り、また空いても続いてく。ふと妊娠を望み、懐妊を確信するも、相手の娘に対しても、それを伝えても父はいないと云い、折からのすっからかんマドリードでの祭りの対象の聖母に準えられる。聖なるものとは神がかったものでもなく、こんな不躾な飾りのない、落ち着かない所から始まるのかも知れない。ロメール的なスタイルと内容、安定·拠り所を求めて裏切られ·また別の次元を見つける、というルートの日常的向上的安心感はなく、白っぽい画調は展開でも落ち着くポイントがなく、追い詰められる事はなくとも、孤独とその併走だけが重ねられて、互いへの存在の認識だけが強まり、見せかけの軋轢が減ることだけがはっきりはしてくる。臆病に裏打ちされた好奇·本能の力が純粋に保たれ、発展がないことだけを受け入れる事が潔さと分かってくる。ロメール流の世界への自己解釈の傲慢かつ微笑ましさにも至らず、渇き潤いにも至らないもっと浅いが、奢りのない薄っぺらいままが掴む時々の瞬間だけが、個人に密着し世界の一部として特化してくる。何でもない世界の、中身より存在してくる自体を感じる。
如何にも、ある種の権威様式の亜流の平板で、熱気·親しみを欠く作品にも見えるが、敢えて飛躍や充実を求めず、それが馬鹿げた事でしかない、しかし止める事は出来ないとの、承知に至る腹の括りかたの表し様は、怖く貴重にも思える。
ニューランド

ニューランド