日常 を 思い出す 映画。
この映画の’間’と’空気感’が、最初はじれったく、そして気がつけば、心地よくなっていた。
クライマックスからラストまでの繋がりと伏線の回収と、笑いの連鎖と、展開のパンチ力と、そして何とも余韻がいい。
この映画の時間の流れで生きていたのはいつ頃までだろう。
下北沢という街に流れるモラトリアムな雰囲気が、人の過ごすペースをスローダウンしているかのよう。
付き合うのも、別れるのも、カフェで過ごすのも、本を読むのも、古着屋で働くのも、古本屋をのぞくのも、街を歩くのも、酒を飲むのも、撮影に参加するのも、すべて同列な日常の何気ない1ページであるように映されて、それが何だか愛おしい。
若葉竜也も、彼に関わる若手女優陣も、下北沢の街によって自然に紡がれているように自然で心地よい。
下北沢には最近行ってないな。
用事が無いから。
40代になってからほとんど。
下北沢の思い出といえば
大学生の時はヒップホップの教室に通っていた。
映画学校に通っていた時はロケとかしたり、カフェでオーディションしたり。
30代の時は下北沢で打ち合わせがよくあった。宮藤官九郎さんとか。峯田和伸さんのスタジオにもよく行った。
下北沢で舞台やライブは幾度か行ったものの、お酒を呑まない私は、下北沢のバーでゆらり過ごすような時間を過ごさなかった。
街に浸ることがなく、下北沢と別れた。
下北沢で過ごし、生活することの一端をなんとなくの雰囲気をこの映画で味わえた気がする。
誰かが誰かを好き。そんなふとした瞬間もうまく捉え、恋愛群像劇としてニヤニヤしてしまう場面がたくさんあった。
今泉監督が掬い取る日常の場面は
何か起こりそうで起こらなくても、そのどっちつかずの空気感そのものが、普段せわしなく生きていて忘れていた、
’生きている’
ってことなのかなって思った。