えふい

街の上でのえふいのレビュー・感想・評価

街の上で(2019年製作の映画)
4.5
あなたが明日、国外追放により海外移住を命じられるとして、「出来らあっ!」と即答できる人はそう多くないだろう。では国内移動にかぎるならどうだろう?ひとまず生活するぶんには問題なさそうだ。われわれは日本人であるがゆえに、日本国内ならおおむね不自由なく往来できる特権を有しているのだ。
しかし荒川青にとってはどうか。彼は街という、よりミニマルな共同体に安住している。いや、ともすれば下北沢と心中しかねないほどに彼の生活すべてが密接しており、まるで井の頭線を境に外界から隔離されているかのようである。
「まつろわぬ民」という言葉がある。神話の時代あるいは古代において、権力者への服従を拒み、忌み嫌われる者として権力の側から「鬼」に貶められて伝承されてきた民族のことだ。それは単なる反権力集団などではなく、生き死にをともにするほど馴染み深い土地を奪われることへの反抗だったのかもしれない。そんな「まつろわぬ民」のように、荒川青の人生そのものも下北沢に深く根ざしている。
しかしこうした小さな共同体への帰属意識は近・現代において、グローバリズムの潮流にすっかり飲み込まれてしまった。その「潮目」が多少変遷しつつあれど、いまやわれわれは手のひらサイズの電子端末を駆使して瞬時に世界中と繋がることができる。換言すれば、世界との関係を断ち極小のコミュニティで生活することは、もはや困難な時代となった。
本作はコミカルな会話劇こそ特徴的ではあるものの、全編通して描かれるのはやはり何者でもない──間違っても世界を救う英雄などではない誰かの生活の一頁にすぎない。しかしそんな青の日常が輝いて見えてしかたがないのは、過剰なまでに世界と繋がれてしまっている現状に、どこか疲れ果てているからかもしれない。私は下北沢に郷愁も憧憬も抱いていない人間だが、自分そのものと言えるほどの土地が存在するのは羨ましいかぎりだ。
「何者でもない僕ら」は、ラックの一段をどうにか占める程度に音楽や映画を嗜み、得意げに語っては作品名を間違えたりもする。満ち足りているわけでもないがとりわけ重大な不満があるわけでもない毎日を、ひとまず過ごしていく。そんな僕らの物語もまた、ひとつの街におさまるぐらいのスケール感でしかないのだ。手のひらサイズの物語を、大スクリーンで堪能するこの多幸感と贅沢さよ。ぜひぜひ劇場にて皆と笑い、憧れ、そして染み入ってほしい。
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