確かに良い映画ではあると思うし、野心も感じられる作品であるのは認めつつ、ロウリーがなぜこんなにも持ち上げられるのかは未だ全然納得がいかない。冒頭の生き物たちを捉えつつ、奥の小屋が燃えたフィクスから扉の奥へと後退し、寝そべるデヴ・パテルを捉えたカメラは悪くないが、この冒頭以上に素晴らしいと思う撮影はその後現れない。多くの人が言及する360度パンからの白骨化も別にギャグとしても面白くないし、寧ろ想定通りでしかなくて取るに足らない。そもそもシネフィリーな方々は撮影方法や円環運動について指摘していく以前に、中世文学を題材とした今作で緑の騎士と一騎討ちを果たした主人公が名誉をかけて緑の聖堂へ向かうという根本のドラマの組立はいいとして、肝心なデヴ・パテルが単なる名誉に固執した男という印象を超えていけるよう演出されてないことを指摘した方がいいと思う。少なくとも初見の俺はこの男の名誉を求める過程に130分も付き合わされることに腹立だしさを感じたし、この男に潜在的に備わっていたかも知れぬ名誉以上のなにかを求める身振りや気配を読み取ることは出来なかった。