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アフター・ヤンのAPlaceInTheSunのレビュー・感想・評価

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
4.2

自動運転の自動車(現在の我々が使用している半自動のものではなく完全に任せきっている自動運転)の中で、AR拡張現実電話で離れた家族と会話する。それが当たり前になっている未来世界。

主人公の家族はバリキャリ的に多忙な仕事をこなす妻カイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、茶葉を調合しお茶を販売する仕事をしている夫のジェイク(コリン・ファレル)、養子の少女ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)、そしてAI人間のヤン(ジャスティン・H・ミン)の4人家族。カイラは黒人、ジェイクは白人、ミカは中華系という多人種の家族で、ヤンはミカの子育ての為に購入したもので、彼女のルーツに合わせ中華系文化の素養を持つAI。この世界ではAI人間をテクノと呼び、テクノだけでなくクローン人間もごく普通の人間の姿として存在している。
多人種の家族がありふれた存在であり、テクノ、クローン人間、とも自然に共生している、そんなある種ユートピアのような世界だ。

ヤンは家族に愛され、特にミカはヤンを心から慕っていた。そんな矢先にヤンが突然故障で動かなくなるところから急展開する。
家族にとってなくてはならない存在であるヤンが居なくなり、ミカは塞ぎ込んでしまう。ジェイクは何とか修理して再生させようとするが、模索する中でヤンが記憶を溜め込む機能を有していた事を知り、その記憶を辿って行く…。

コゴナダ監督は、純然たる映像作家であり、芸術家だ。
娯楽性、物語性、芸術性、政治性、商業性、、、。映画が持つ様々な要素のなかで、コゴナダ監督が作る映画の持つ魅力はその芸術性だ。
前作の『コロンバス』ではアメリカ、インディアナ州コロンバスの誇るモダン建築を極上の映像でカメラに捉えた。そのショットの一つ一つはそれぞれが写真として美術館で飾られるようなものであった。
本作『アフター・ヤン』を観てこの思いがさらに強くなった。
この作品では、≪儚さゆえの美≫という主題を受け取った。 
例を挙げると、まずはヤンの残した記憶を辿るシーン。前述したように本作の舞台は科学技術が進歩した未来の世界である。記憶の保存方法は、進歩し続け、より鮮明な画像・音声がより小型の媒体に保存できるようになっている。しかし、それはそのまま置いていれば、忘れ去られていく単なる電子データでしかない。そのメモリーを人間が見る・聴くことにより意味を成す。人間によって、記憶を呼び起こし、蘇らせ、それが人間の感情を揺さぶるのだ。
ヤンの記憶をクラウドデータの中から検索する場面の映像が美しい。膨大な宇宙空間の中で彷徨い続け、ようやくたどり着いた記憶。電子記録は半永久的に残ったとしても、そこに映し出された人や風景を見て懐かしむ人間の生命は有限で儚い。だからこそ美しいのだ。
付け加えるなら、ヤンとジェイクが蝶について語る場面があるがこれも同様の主題を語っている。『蝶は毛虫が死ぬ間際のひと時の美しい瞬間の姿』という孟子の言葉が引用される。毛虫の姿を経て美しい蝶になるが、またやがては死がやって来る。その姿は有限で儚いから美しいのだ、と。

本作『アフター。・ヤン』は、現在パート、過去パートで画格や色彩のトーンが変わる。
ほの暗いトーンで語られる現在パートシーンから、過去を回想するシーンの色彩の鮮やかな映像に変わる瞬間の落差に息を飲む。
コゴナダ監督は映画監督になる前はクライテリオンで映像保存や映像研究の仕事をやっていたらしい。キューブリックやタルコフスキー等、過去の巨匠の作品の保存や、それらを加工して紹介する映像作品を残している。
そんな過去の宝物のような遺産を、どう残すかという主題が作家性として備わっているように感じる。

ところで、前作コロンバスで登場人物がこんな会話をする場面がある。
≪主人公がつくる料理に対し母親が『もう少しスパイスを利かせたらどう??』それに対し『敢えて薄味にしているの。その方が素材の味が十分に活きるから。』≫これはコロンバスという作品の、コロンバスのモダン建築物の良さを十分に活かす為に、映画の演出を極限まで薄味にしているというスタンスともとれる。
では本作『アフターヤン』ではどうか。ヤンとジェイクの会話の中で『お茶の味は、複雑で言葉に表すことができないんだ。』(細かい所は覚えていない)という旨の事を話す。
『アフター・ヤン』は、≪消えゆく人間の記憶と人工知能≫、≪人間と人工物≫、≪AIやクローンといった人工物は人間を癒しうるか≫、≪西洋文化と東洋文化≫などなど、その中で描かれる主題は多岐に渡る射程の広い作品である。
ただ、その主題に対しエンディングの味わいも含め、明確な答えや押しつけがましいメッセージが用意されているわけではない。
それはお茶の味のように複雑なもので、『言葉で言い表す事はできない。映像を観て感じてくれ。』そう言っているように感じる。
東洋文化の出自を持つ、映像作家コゴナダらしさをここに見いだした。
正直、一回観ただけではその魅力を味わいつくせるような作品ではない。何度も何度も見直したい。
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