アゴ

アフター・ヤンのアゴのネタバレレビュー・内容・結末

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

テクノ(アンドロイド)に成長過程は存在せず、はじまりから成人した肉体を持つ蝶であると思った。しかし彼らはまだ成長の過程にある。当然、肉体は成長することもなければ老いることもない。
知識や言動はプログラムされているので、やはり幼虫の時代は存在しない。彼らは蛹なのだ。己のアイデンティティを固めながら、やがて無になる日まで蛹の中で学び、成長を続ける。ある意味では人も同じなのかもしれない。蝶に至るまで満足した人生を送れる人間は、限りなく少ないだろう。

終わりが始まりである、という考えに救いを得る人。
終わりは無である、それが悲劇だとは思わないテクノ。

対極が存在するからこそ、有がある。
生きている今が、何よりも大切だった。

人も時に己の死を察する時がある、魂なきものであってもそれは同じなのだろう。
ヤンは己の終わりが近いことを悟っていたのだろうか。
「最後の家族」を一つのフレームに収めた彼の記憶映像は人の温もりに満ちている。彼は人に憧れる必要が無かった。彼の人生は満ちていたのだ。「憧れ」というならば、人の方が彼に憧れるのかもしれない。

彼が無になっても、「四人家族」の写真は残る。無があるから、有がある。

「リリィ・シュシュのすべて」は良い映画だった。ヤンは見たのだろうか。何を思ったのだろう。
美しい歌を、愛しい人の横顔を、柔らかな光を浴びる自然と同じに愛した彼が見た世界を、いつまでも見ていたかった。

好みすぎて言いたいことが尽きない映画だ、久しぶりに巡り会えて嬉しい。
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